The Representation of Working-Class Children in the Late-Victorian Novel and Journalism
Project/Area Number |
19K00397
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 02030:English literature and literature in the English language-related
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Research Institution | Osaka Metropolitan University (2022) Osaka City University (2019-2021) |
Principal Investigator |
田中 孝信 大阪公立大学, 大学院文学研究科, 教授 (20171770)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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Project Status |
Granted (Fiscal Year 2022)
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Budget Amount *help |
¥4,290,000 (Direct Cost: ¥3,300,000、Indirect Cost: ¥990,000)
Fiscal Year 2022: ¥910,000 (Direct Cost: ¥700,000、Indirect Cost: ¥210,000)
Fiscal Year 2021: ¥910,000 (Direct Cost: ¥700,000、Indirect Cost: ¥210,000)
Fiscal Year 2020: ¥1,170,000 (Direct Cost: ¥900,000、Indirect Cost: ¥270,000)
Fiscal Year 2019: ¥1,300,000 (Direct Cost: ¥1,000,000、Indirect Cost: ¥300,000)
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Keywords | フットボール / 少年冒険物語 / 新兵募集ポスター / モダニズム文学 / 帝国主義 / 中流階級 / 労働者階級 / 若者 / ペニー・フィクション / 『宝島』 / ボーイスカウト運動 / ベイデン=パウエル / セツルメント / アシュビー / オクスフォード・ハウス / トインビー・ホール / 新しい男 / 同胞愛 / 子供 / ディケンズ / メイヒュー / ウィリアム・ブース / モリソン / 後期ヴィクトリア朝小説 / ジャーナリズム / 労働者階級の子供 / ロンドン |
Outline of Research at the Start |
本研究は、第一に労働者階級の子供たちに対する中流階級の姿勢を小説と新聞雑誌記事における彼らの表象に探り、その意義及び役割を帝国と国家のアイデンティティとの関係の中で明らかにしようとする。そして第二に、単一的な言説から漏れ出た異質な言説を掬い上げ、階級間の調和という表層に隠された軋みを浮かび上がらせようとする。資料収集と資料の分析という2つの作業を通して、労働者階級の子供の救済と教育の目的と限界、イングリッシュネス/ブリティッシュネス構築という理想と現実の乖離に迫り、最終的には、矛盾を抱えたまま第一次世界大戦に突入した英国の戦後の姿を提示する。
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Outline of Annual Research Achievements |
本年度は、「洞察力を帯びた中流階級」と「機械としての労働者階級」といった二項対立的な捉え方が、エドワード朝のフットボール熱、少年冒険物語、第一次世界大戦時の新兵募集ポスターにどのように反映されているかを、戦争との関わりの中で見ていった。その上で、戦後のモダニズム文学や新聞雑誌の暴露記事による二項対立批判を読み解いていった。 中流階級は、団体競技の精神を労働者階級の若者に浸透させることで、彼らの身体的退化を矯正するばかりでなく、階級の壁を越えた、国民としての一体感を植えつけようとした。しかし、労働者階級の若者に求められたのは、実際には、一兵卒としての身体であり、戦場において指示を出すのは、あくまでも上の階級に属する将校だったのである。洞察力と身体といった関係は、ヘンティの『スーダンでキッチナーと共に』(1903)やスティーヴンズの『キッチナーと共にハルツームへ』(1898)といった少年冒険物語にも共通するものである。新兵募集ポスターでも、強調されるのはキッチナー元帥の顔であり、身体は背景に消えている。それに対して、一兵卒を描いたポスターでは、強調されるのは身体である。これらの例からは、「知性」と「身体」が、「科学技術」と「機械」、「全体の用兵戦略」と「個々の用兵戦術」という二項対立にも置き換えられることが分かる。 中流階級のこうしたイデオロギー戦略に対して、中流階級内からも批判が出る。ウルフは『ダロウェイ夫人』(1925)の中で、社会帝国主義の言説を批判的に扱い、シェルショック後遺症に悩まされるセプティマスの内的独白を通して、モダニストの美学を戦争の恐ろしい物質性に向けられた批判的ヴィジョンとして対峙させている。さらに、ギブズの『今語られ得ること』(1920)には、ウルフの視点には見出せなかった、労働者階級の意識、すなわち、塹壕の中の彼らの反帝国主義の声が記録されているのだ。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
4: Progress in research has been delayed.
Reason
大阪市立大学と大阪府立大学との統合によって令和4年度に開学した大阪公立大学関連の校務のため多大の時間と労力を取られ、当初予定していた、中流・上流階級による労働者階級の子供への審美主義的眼差しを分析することができなかった。 しかしながら、第一次世界大戦後に見られた、「洞察力を帯びた中流階級」と「機械としての労働者階級」といった二項対立的な捉え方に対する中流階級内からの批判が、モダニズム文学だけでなく、フィリップ・ギブズのようなジャーナリストの著作物にも見られることが分かったのは大きな収穫であった。ギブズによれば、全ての階級の兵士は団結している。ただし、それは帝国主義的価値観によってではない。戦争は、彼らを全員、都市の労働者階級と同等のものに変え、その身体は、中流階級の資本家や帝国主義者の未来図を実現するために酷使され、破壊されてしまうのである。ギブズはこの兵士たちの団結が帯びる革命的性格や反帝国主義の姿勢をひるむことなく記録しているのだ。
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Strategy for Future Research Activity |
令和5年度は、まず前年度に取り組めなかった中流・上流階級による労働者階級の子供への審美主義的眼差しを、文学テクスト・絵画・写真・映画を通して分析する。それと同時に、本研究の最終年度であることを踏まえ、全体をまとめる意味でも、本研究の時代範囲である後期ヴィクトリア朝に至るまでの、特に前期と中期のヴィクトリア朝の労働者階級の子供を、同じ弱者である中流階級の女性との関わりの中で捉え、後者のスラムにおける子供救済のための慈善活動に着目する。
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Report
(4 results)
Research Products
(6 results)