Project/Area Number |
20J40206
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Research Category |
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
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Allocation Type | Single-year Grants |
Section | 国内 |
Review Section |
Basic Section 01040:History of thought-related
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Research Institution | Doshisha University |
Principal Investigator |
渡辺 恭彦 同志社大学, 法学部, 特別研究員(RPD)
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Project Period (FY) |
2020-04-24 – 2023-03-31
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Project Status |
Declined (Fiscal Year 2021)
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Budget Amount *help |
¥2,470,000 (Direct Cost: ¥1,900,000、Indirect Cost: ¥570,000)
Fiscal Year 2021: ¥780,000 (Direct Cost: ¥600,000、Indirect Cost: ¥180,000)
Fiscal Year 2020: ¥910,000 (Direct Cost: ¥700,000、Indirect Cost: ¥210,000)
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Keywords | 新カント派受容 / 京都学派 / 左右田喜一郎 / リッケルト解釈 |
Outline of Research at the Start |
本研究は、1910年代日本における新カント派の受容によって構築された哲学概念と文化現象を京都学派の田辺元、経済哲学者 左右田喜一郎に即して分析する。さらに田辺の関心がベルグソンの「生の哲学」やマルクス主義へと移り変わっていった要因を解明する。それにより、同時代的に希求されていた生のあり方・価値・文化を立体的に描くことを試みる。 大正期以後も、新カント派は、近現代日本思想史に通底する思潮として、南原繁、丸山眞男、廣松渉をはじめとする戦後の思想家や哲学者に流れ込んでいる。申請者が従事してきた廣松研究から田辺・左右田へと遡行することにより、近代から現代にかけての日本思想史を捉え直す。
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Outline of Annual Research Achievements |
1910年代日本において新カント派の哲学がいかにして受容されたのかを、京都学派の西田幾多郎、田辺元と経済哲学者左右田喜一郎に即して分析し、研究発表を行った。 西田は朝永三十郎、桑木厳翼らと顧問を務めた『哲学叢書』(1915年発刊)で新カント派哲学の啓蒙的紹介を精力的に行ったが、その関心は新カント派にとどまるものではなかった。これには、西田自身の資質や哲学的傾向が新カント派哲学に収まりきらないものであったことが一因としてある。また、西田は明治期の啓蒙主義が自由民権運動の挫折を経てロマン主義へと展開する思想史的状況に置かれていた。それゆえ、学術活動をはじめる以前から近代的自我の分裂という苦悩を背負っていたことも背景にあると思われる。 田辺も、西田に沿いつつ、「生の哲学」や非合理性の探求のために新カント派からベルクソンへと研究の軸足を移していった。新カント派を解釈した二論文(1913、1914)からは、田辺が西田の影響のもと、すでにベルクソンの「意識の直接所与」や「純粋持続」の概念を高く評価し、新カント派解釈と接続させようと苦闘していることが分かる。その後、1918年に左右田との間で交わされた相互批判が契機となり、田辺はリッケルトに対して批判的立場を取った。「認識主観の問題」(1919-21)では、リッケルトと比較してラスクを評価し、「文化の概念」(1922)でリッケルト批判はさらに厳しいものとなる。これが、左右田の提唱した文化主義とその日本における展開に対するものであるかはさらに検証が必要だが、リッケルト解釈をもとに田辺と左右田の立場が分岐していったことは十分推測できる。 また、研究発表を介した意見交換から、ヘルマン・コーヘンの訳述をめぐる「藤岡蔵六事件」と和辻のその後の思想展開をも射程に入れることで、新カント派受容の重層的な分析が可能になるという知見を得た。
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Research Progress Status |
翌年度、交付申請を辞退するため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
翌年度、交付申請を辞退するため、記入しない。
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