The Formation and Transformation of the Medieval Islamic Medicine in the Yuan-Ming Period: a study on Huihui Yao Fang
Project/Area Number |
20K01014
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 03030:History of Asia and Africa-related
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Research Institution | 防衛大学校(総合教育学群、人文社会科学群、応用科学群、電気情報学群及びシステム工学群) |
Principal Investigator |
尾崎 貴久子 防衛大学校(総合教育学群、人文社会科学群、応用科学群、電気情報学群及びシステム工学群), 総合教育学群, 教授 (00545733)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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Project Status |
Granted (Fiscal Year 2023)
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Budget Amount *help |
¥4,420,000 (Direct Cost: ¥3,400,000、Indirect Cost: ¥1,020,000)
Fiscal Year 2022: ¥780,000 (Direct Cost: ¥600,000、Indirect Cost: ¥180,000)
Fiscal Year 2021: ¥1,560,000 (Direct Cost: ¥1,200,000、Indirect Cost: ¥360,000)
Fiscal Year 2020: ¥2,080,000 (Direct Cost: ¥1,600,000、Indirect Cost: ¥480,000)
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Keywords | 回回薬方 / 医学典範 / ホラズムシャーの宝庫 / 東西交流 / イスラム医学 / インド医学 / 元 / モンゴル帝国 / 東西文化交流 / イブン・スィーナー / モンゴル / ペルシャ語 / 焼灼 / 針灸 / 中医学 / ホラズム朝 / 明 / 中国医学 |
Outline of Research at the Start |
明代初期の漢語イスラム医学書『回回薬方』は、イスラム医学の東アジアへの伝播を示す唯一の証左である。本研究は、残存4巻全文の引用元の同定を行う。そして原典と漢文の比較対照より漢語翻訳の傾向を捉え、疾病分類、病理用語や薬剤名称の漢語意訳語から、中国でのイスラム医学理解を把握する。さらに、16世紀以降、中国や日本で編纂された医書との比較検討から、いわばイスラム医学の“中国化”の傾向と特徴を明らかにする。
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Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、漢語イスラム医書『回回薬方(『回回』)』について、その引用元であるイスラム医書原典類の同定及び記述内容の比較による、中国でのイスラム医学の受容の様相の検討である。さらに同時代医書類との比較分析により、中国におけるイスラム医学の実践、中医学への相互交流の有無、ひいてはユーラシア大陸での医学知識の伝播の様相を明らかにすることである。 引用踏襲関係については、12世紀ペルシャ語医学百科全書『ホラズムシャーの宝庫(『宝庫』)』を10世紀イブン・スィーナーの『医学典範(『典範』)』と並び、主たる引用元の一つであることを発見した。『回回』と2書との師承関係につき調剤処方集(第30巻)および外科書(第34巻)で検討したところ、調剤処方に関しては『宝庫』、外科術では『医学典範』が主たる直接引用元であることを明らかにした。現在、医学用語の〈アラビア語ペルシャ語:漢語〉対応表を作成している。一方『回回』には、イスラム医学では未使用の薬材を用いた漢語薬品名を散見し、中医学書からの引用記載も明らかになった。 さらに『回回』の調剤処方にインド医学の2薬品のレシピの記録を見出し、それらは、インド医学由来としてアラビア語でイスラム医学書類に書き記されたものが、引用翻訳されたことを明らかにした。また外科記録においては、中国での治験の記録を見出した。以上、『回回』をイスラム医学の東進のみならず、南のインド医学および、東の中医学との接触と相互交流という3方向からの検討を重ねている。 一方、中国でのイスラム医学の実践に関しては、イスラム医学の焼灼方法が『回回』に記録され、イスラム医学治療者の実践とみなせる記述を発見、論文として刊行された。中国でのイスラム医学の実践は、申請者が確認する限り、従来の研究では指摘されていない。これは中国での元代明代におけるイスラム教徒の活躍に関する歴史解明の端緒となろう。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
ひきつづき『宝庫』『典範』との引用元との比較検証を行っている。第30巻においては現在『宝庫』からの直接的引用踏襲が多くみられるものの、両書には確認できないイスラム医学薬品の処方レシピがある。11世紀以降の医学書からの引用の可能性が高いため、ペルシャ語写本調査を開始している。その中で14世紀デリー=スルタン王朝の一つのトゥグルグ王朝のインド遠征に同行した医学者らによる医書類の存在を発見した。現在、これらはインドの地方写本館所蔵となっており現物を取り寄せの着手をしている。こうした文献調査により、インド医学のイスラム医学への流入については、入手した写本情報により3つのルートを確実に捉えた。それは①10世紀バグダードでのインド医学者の召喚、②11世紀エジプトでのインド洋商業に由来するもの、③13世紀以降のペルシャ系王朝のインド侵攻によるもの、である。②と③のルートについては、従来の研究では具体的証左はなく本研究による新たな発見である。③について入手した写本は、支配者に随行した医学者らが、インド医学を現地で知り得た情報を取り入れ、編纂したものである。このルートによる医学情報としての具体的な証左としては、インド医薬の「イトリーフィルtriphala」に着目している。この調合薬は古代インド医学書に記載があり現代でも用いられている。古代インド医学ではイトリーフィルは、下剤・消化剤・強壮剤だけでなく呼吸器疾患の薬や目の痛みの薬として用いられた一方、10世紀までのアラビア語のイスラム医学書では下剤薬とだけ記録された。ところが『回回』では、下剤・消化剤・強壮剤など20種類に及ぶイトリーフィルのレシピを確認している。ここから、『回回』記載のイトリーフィル20種類は、13世紀以降ペルシャ語圏の人々がインドに赴いた時期にイスラム医学の中にとりいれられたと仮説をたてるにいたった。
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Strategy for Future Research Activity |
『回回』の引用元について、今年度は、12世紀以降のペルシャ語医学書類を射程とする。『宝庫』『典範』における所収数を凌駕する第12巻(麻痺関連治療)の引用元の同定を視野に入れている。現時点で『回回』は、中風・しびれ・麻痺の分野において中世イスラム世界で最大書である点があきらかになりつつある。 古代インド医学の薬品「イトリーフィル」の記載についてより広範な文献資料で調査する。古代インド医学書に加え、12~14世紀のイスラム医学書、とくに中央アジアを含むペルシャ語で編纂された書を射程とする。この調査は、モンゴル帝国支配下のユーラシア大陸での、インド医学とイスラム医学の接触の様相も視野にいれている。 元代明代でのイスラム医学の実践および受容理解については、明代最大規模の医学百科全書『普済方』の内容を検証する。小児用解熱剤「鶴頂丹」のレシピやアラビア語名音訳薬名について引き続き調査と検討を行う。またイスラム医学の中国流入の事例として、レモンシャーベットの、モンゴル帝国支配下における中国での普及の検討を行う。元代までに中国南部で栽培が開始されたレモンを用いたレモンシャーベットは「渇水」の一品として 、広州・泉州地域の名産品となり、イルハン国の宰相へも献上された。イスラム医学の薬品、嗜好品であったシャーベットの普及の背景の検討により、イスラム医学の中国での受容と理解の一側面を明らかにできよう。加えてシャーベットの安土桃山期以降の日本への伝播に関して検討を進める。南蛮医学経由での品として18世紀『紅毛焼酒水薬書口伝』ではシャーベット類の処方を確認した。中世イスラム医学書からヨーロッパに入り薬品として重用されたシャーベットがいかに日本に伝えられたかをを視野に入れることで、13世紀14世紀のモンゴル帝国支配期のユーラシア大陸における東西の医学の接触の様相・経路を明らかにできよう。(774字)
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Report
(4 results)
Research Products
(9 results)