Project/Area Number |
21K00936
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 03040:History of Europe and America-related
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Research Institution | Yamagata University |
Principal Investigator |
山崎 彰 山形大学, 人文社会科学部, 客員研究員 (30191258)
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Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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Project Status |
Granted (Fiscal Year 2023)
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Budget Amount *help |
¥1,690,000 (Direct Cost: ¥1,300,000、Indirect Cost: ¥390,000)
Fiscal Year 2023: ¥650,000 (Direct Cost: ¥500,000、Indirect Cost: ¥150,000)
Fiscal Year 2022: ¥650,000 (Direct Cost: ¥500,000、Indirect Cost: ¥150,000)
Fiscal Year 2021: ¥390,000 (Direct Cost: ¥300,000、Indirect Cost: ¥90,000)
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Keywords | 村落学校 / ナトルプ教育改革 / 教員会議 / 教員養成学校 / フリーデルスドルフ学校 / 近代村落学校制度 / ブランデンブルク / 領主 / ブランデンブルク史 / 農村学校 |
Outline of Research at the Start |
18世紀末までブランデンブルク州のほとんどの村落では学校が設立されていた。しかし授業は冬期に開かれているにすぎず,学齢や教育内容も明確に定められず,「読み方」のみが教えられるにすぎなかった。教員自身にも教育能力が欠けていた。しかし19世紀前半にブランデンブルクの村落学校では,急速に学校制度が整備され,教育職が独立し,近代的学校として成立していった。しかしその要因については,教育政策や学校制度に焦点を当てた教育史研究においては,十分に説明ができずにいた。本研究は、1810年頃に多数の教員が情熱をもって参加した教員会議に着目し,文書館一次史料にもとづき,その活動と影響を分析する。
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Outline of Annual Research Achievements |
本研究の一部は、昨年度に刊行した著書『近代ドイツ農村社会の誕生』(刀水書房、2023年2月刊)の第6章「近代村落学校の形成-領主・教員・農民にとっての学校教育」と、論文「ブランデンブルク近代農村学校制度の形成」『歴史評論』864号(2022年4月号)において発表した。そこではブランデンブルク州のフリーデルスドルフ村に焦点を当て、ブランデンブルク州立文書館の手稿史料を利用しながらグラスルーツの実証に基づき、村落の中から近代学校制度が形成されてくるプロセスを明らかにした。学校制度発展は、かつてW.Neugebauerが主張したとおり、保護権者である領主の発意から始まったことは確かであるが、しかし近代学校制度の本格的な設計とそのための体系的な実施は、クールマルク県参議ナトルプの発案による教員会議があってはじめて可能になったことが、上記の研究で明らかになった。ナトルプ改革は一方で教員の能力発展と教員養成制度の創出を目指す一方、農村の教育行政制度の整備が領主制から独立することを目標としていたことを、そこでは説明した。本研究は以上のとおり村落ベースで明らかにした事実を、ブランデンブルク州全体の農村学校の発展全体の中に位置づけることを目的としており、これらをブランデンブルク州立中央文書館(BLHA)と枢密プロイセン文化遺産財団(GtApK)の手稿文書の調査を通じて引き続き明らかにしてゆく。本年度は2週間にわたって両文書館でこれらの史料を収集することができた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究では、ブランデンブルク州立中央文書館(BLHA)と枢密プロイセン文化遺産財団(GtAPK)での調査により、一次史料の調査と収集が、最も重要な研究手続きであったが、本年ようやくドイツへの渡航により、これを実施することができた。これによって以下のような史料を収集することができた。まず州西部のクールマルク(ポツダム)県の県政庁によって、各地の視学官が実施した教員の能力調査の記録が、分散的とはいえかなり残っていることが明らかになった。これらの史料から明らかになったことは、全体の概ね5分の2程度の教員が老齢などにより、教員として不適格と評価されていることであり、彼らは新設される教員養成学校の卒業生によっていずれ置き換えられるべき存在とされていた。さらに残りのうち5分の2程度が、力量不足ではあるが成長可能のため、各地の教員会議に併設された講習コースを受講することが期待されていた。わずか5分の1程度の教員が満足な能力を有すると評価されていたにすぎない。続いて教員の教育力向上のために各地で開催が指示された教員会議と、教員のための講習コースについての報告を収集することができた。史料から、当初は日数や内容がばらばらであった講習コースが、徐々に日数や内容、教材が整備されてゆく過程が明らかになった。最後にポツダム教員養成学校の教育課程や卒業生の赴任先などについての、未公刊史料の入手を実施した。これらの分析はまだ十分行っていないので、来年度の課題となる。
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Strategy for Future Research Activity |
次年度は残されたもう1回のドイツ調査を実施する。基本的には本年度に実施した調査を補充し、さらに発展させる。特に教員養成学校の設置経緯についての史料収集と分析を中心に行う。学校改革にとって教員の養成制度の整備は決定的に重要であった。18世紀に既にベルリンに教員養成学校が開設されていたが、研修生たちは都市学校ないしは御領地の学校の教員となる者がほとんどであったといわれている。村の学校教師は、農村手工業を営みながら、学校教師を務めており、19世紀初頭においては、教育職として確立していなかったといわれる。しかもたいていの者は生家で父親から指導法を教授されているだけだった。このため村落学校の教員が、教育職として確立するためには、教員養成制度の整備が必要不可欠となった。次年度は文書館での史料調査をいまいちど実施し、ポツダムの教員養成学校の設立過程と、教育内容、さらに卒業生の赴任先などを分析し、村落学校発展へのその影響関係を明らかにしてゆく。
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