A study on the impact of the Soviet-Japanese border conflicts (1932-1939) on Stalin's policy towards Japan.
Project/Area Number |
21K01376
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 06020:International relations-related
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Research Institution | Nihon University |
Principal Investigator |
笠原 孝太 日本大学, 国際関係学部, 助教 (60883965)
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Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2026-03-31
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Project Status |
Granted (Fiscal Year 2023)
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Budget Amount *help |
¥4,160,000 (Direct Cost: ¥3,200,000、Indirect Cost: ¥960,000)
Fiscal Year 2025: ¥650,000 (Direct Cost: ¥500,000、Indirect Cost: ¥150,000)
Fiscal Year 2024: ¥780,000 (Direct Cost: ¥600,000、Indirect Cost: ¥180,000)
Fiscal Year 2023: ¥910,000 (Direct Cost: ¥700,000、Indirect Cost: ¥210,000)
Fiscal Year 2022: ¥650,000 (Direct Cost: ¥500,000、Indirect Cost: ¥150,000)
Fiscal Year 2021: ¥1,170,000 (Direct Cost: ¥900,000、Indirect Cost: ¥270,000)
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Keywords | 乾岔子島事件 / スターリン / 満ソ国境紛争 / 日ソ紛争 / ノモンハン事件 / 日ソ関係 / ソ連 / 日ソ国境紛争 / 張鼓峰事件 |
Outline of Research at the Start |
満洲国の建国以降、ソ連の対日強硬姿勢が形成されていく中で、一貫して影響を与え続けたと考えられるのが、1930年代に多発していた日本とソ連の国境紛争である。これらの紛争はソ連が徐々に対日強硬姿勢を強めていった経緯と強い関係性があると推測される。 一連の国境紛争を紛争史だけではなく、国際政治史としてマクロの視点で研究することで、戦間期の日ソ大規模国境紛争が、スターリンという指導者を通じて、いかに政治的に評価され、ソ連の対日政策に影響を与えたのかを解明する。
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Outline of Annual Research Achievements |
令和5年度実績として以下の研究論文の発表とシンポジウムでの発表を行った。 笠原孝太「乾岔子島事件における日ソ外交交渉の考察:ソ連の譲歩に関する新仮説」『国際関係研究』(第43巻)。本論文は1937年6月~7月に行われた乾岔子島事件をめぐる日ソ外交交渉の過程を、主に東京都立大学図書館所蔵の「松本文庫(文書の部)」を使用することによって明らかにしたものである。交渉内容を精査した結果、ソ連が乾岔子島事件を端緒とする対日紛争の拡大を努めて回避しようとしていた様子が明らかになった。 モスクワで外交交渉を進めている最中に、紛争地でソ連砲艇の不法射撃に日本軍が応戦し、ソ連砲艇一隻を撃沈する大事件に発展したが、直後にマクシム・リトヴィノフ外務人民委員は、ソ連側が乾岔子島及びその周辺から撤収することを申出た。この一方的な撤退ともいえるソ連の申出について、ソ連政府機関紙『イズベスチヤ』の事件総括記事から、当時のソ連は欧州のスペイン内戦におけるイタリア、ドイツというファシズム陣営との対立問題を重要課題としており、さらに日独防共協定を締結していた日本とドイツの関係性から、乾岔子島事件の拡大が、日独からの東西挟撃に発展することを避けようとしていたのではないか、という仮説を示した。 上記論文の内容を発展させて、2024年1月20日に開催された公開シンポジウム「戦間期国際秩序の形成とその変容-地域間比較と日本」(公益財団法人日本国際問題研究所、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター共催)の第二セッション「戦間期国際秩序の動揺」で報告者として発表した。発表のテーマを「乾岔子島事件がもたらした動揺とソ連の対日態度」として、一般的に日ソ関係に悪影響を及ぼしたと評価されている日独防共協定について、乾岔子島事件を例に挙げて、局所的ではあるが日ソの秩序の動揺を抑えたのではないかと、その効果について研究成果を報告した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
過去2年の研究成果と課題を踏まえて、研究論文1本の発表とシンポジウムでの報告が1回できたため、研究は概ね順調に進展しているといえる。 ロシア情勢の不安定化により、ロシアが外務省の危険情報でレベル3(渡航中止勧告)になっているため、今年度も現地での史料収集は出来なかった。したがってロシア側の史料を活用する研究を進展させることは出来なかった。 一方で、昨年度の研究から見えてきた乾岔子島事件の外交的な研究については、「乾岔子島事件における日ソ外交交渉の考察:ソ連の譲歩に関する新仮説」『国際関係研究』(第43巻)の発表により成果を達成できたと考える。本論文により、ソ連が紛争のエスカレーションを極めて強く警戒し、譲歩的な対日態度姿をとっていたことを明らかにした。そしてその背景にスペイン内戦におけるドイツ、イタリアとの対立と日独防共協定の締結によるソ連の警戒心があったことを指摘することができた。2024年1月20日に開催された公開シンポジウム「戦間期国際秩序の形成とその変容-地域間比較と日本」(公益財団法人日本国際問題研究所、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター共催)の第二セッション「戦間期国際秩序の動揺」での報告では、日独防共協定が日ソ関係を悪化させたという一般的な定説に加え、局地的な紛争を不拡大化させたという新しい仮説を提示することができた。これはまさに日ソ大規模国境紛争が日ソ関係に与えた影響の一つを明らかにできた成果である。会場での質疑応答を通じて、本研究の進捗状況を客観的に捉える機会も得ることが出来た。
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Strategy for Future Research Activity |
現在、戦間期の日ソ大規模国境紛争の中でも乾岔子島事件に注目して具体的な研究を推進しているが、次年度も引き続き乾岔子島事件と日ソ関係に焦点を当てる。 令和5年度の研究で、乾岔子島事件の外交的側面を明らかにできたため、今後は乾岔子島事件終結期の日ソ関係に焦点を当てた研究を行う予定である。 乾岔子島事件では、日本軍がソ連の砲艇を撃沈するというそれまでにない重大な結果になった。ソ連は紛争の拡大を望まずに事件は終結したが、痛撃を加えた後のソ連の対日態度はいかなるものだったのか、検討の余地がある。特に沈没した砲艇の引き上げを巡る日ソ、満ソ交渉については、未だ全貌が明らかになっておらず、大きな検討課題と言える。 本課題の検討のために、アジア歴史資料センター所蔵の資料を活用して、当時の交渉の様子と日満ソの関係の変化について明らかにしたい。 もう一点、乾岔子島事件が日本軍の対ソ理念にいかなる変化を及ぼしたのかについても検討を行う予定である。本事件でのソ連の譲歩的態度を体感した関東軍が得た教訓を明らかにすることで、その後の張鼓峰事件(1938年)やノモンハン事件(1939年)への影響も解明できる可能性がある。未だ戦間期の日ソ大規模国境紛争の一貫性や連続性についてはその有無も含めて不明点が多いため、一連の紛争の前後関係の解明のためにも日本軍の教訓についても注目する。これらの研究が、ソ連の対日態度を解明するためにも必要と考える。
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Report
(3 results)
Research Products
(7 results)