Project/Area Number |
22K00126
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 01050:Aesthetics and art studies-related
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Research Institution | Ehime University |
Principal Investigator |
東 賢司 愛媛大学, 教育学部, 教授 (10264318)
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Project Period (FY) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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Project Status |
Granted (Fiscal Year 2023)
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Budget Amount *help |
¥4,160,000 (Direct Cost: ¥3,200,000、Indirect Cost: ¥960,000)
Fiscal Year 2024: ¥1,040,000 (Direct Cost: ¥800,000、Indirect Cost: ¥240,000)
Fiscal Year 2023: ¥1,430,000 (Direct Cost: ¥1,100,000、Indirect Cost: ¥330,000)
Fiscal Year 2022: ¥1,690,000 (Direct Cost: ¥1,300,000、Indirect Cost: ¥390,000)
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Keywords | 墓誌 / 造像記 / 題記 / 石刻 / 北魏 / 洛陽 / 山西省 / 水運 / 墓誌銘 / 女性 / 北朝 / 北斉 / 書体 |
Outline of Research at the Start |
隋代は南北朝の文字が融合・昇華して新しい楷書書法が誕生した時期と言われる。私は、最先端の書体を創出させた物理的理由があると考え、それらを「水運による技術伝承が墓誌作製に影響している」ことから追求したいと考えた。 その証明として、1GPS等による華北地域の水路や石刻の位置情報の可視化、2墓誌や造像題記の作成場所と移動ルートの解明、3篆書という古い書体を用いて記載された墓誌蓋と、その対となる墓誌銘の書風や内容の分析により、地域性や信仰を重視した造像題記に対し、移動が容易な形式を保ちつつ、公的な文書に類似した墓誌銘が、最先端の均整均衡を重視した楷書書体を用い、新しい書体に継承されたことを証明する。
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Outline of Annual Research Achievements |
本年度は新出土資料の中から、北魏の墓誌銘を一つ抽出し、その分析を行った。南北朝時期の石刻資料の中で最も質が高いのは、北魏資料であり、その北魏資料の大半は河南省洛陽で出土しているものが多い。墓誌資料は、中華民国時代以降に出土したものが大半であるが、科学的な発掘を伴うもの、即ち、考古報告書等に記載されている資料はほぼ見られず、盗掘等によって発見されている。伝洛陽出土の資料は現在でも著録等に多く発表されているが、出土地点を明示できない資料が多く、このことから、出土地点などが不明瞭であるという難点があった。本年度、調査の対象とした薛懐吉墓誌銘は山西省運城市万栄県西思雅村から発掘された。墓主の薛懐吉は、汾陽薛氏の一人で、北魏の孝文帝、宣武帝、孝明帝を支える重要な人物であった。墓誌は、蓋と銘の二石で構成されており、大量の陶俑も発見されている。墓葬や出土物全般に北魏時期の司州のものと共通性があり、洛陽にあった特定の官坊で作られたものが山西省まで運ばれた可能性が高いとされている。墓葬を構成する材も服装品も多くは土(粘土質の赤土)が材料となっており、重量は相当に重い。墓葬の全長は50メートル、地表から墓底までの深さは7.5メートルであり、洛陽で作られた材は、水運によって運ばれた可能性が高い。そのルートの解明は難しいが、洛陽から北上して黄河に入り、黄河から、黄河を遡り、現在の陝西省渭南県潼関県から北上するルート、もしくは洛陽から洛河を通って洛寧県・渭南市に入り、小運河をたどったルートが考えられる。いずれにしても長距離の旅程となるので、輸送ルートが確立をしていないと運搬は難しいだろうと思われる。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
本年度の研究の一つとして、薛懐吉墓誌銘の読解と分析を行った。墓石は、石灰岩製であり、黒く塗られている。大きさは85センチあり、北魏洛陽のものと比べても大きい。また、蓋があるが大きく破損している。紋飾があって中心に篆書で題が書かれている。そこには「魏故并…」と九文字が彫刻されていたようであるが、破損で他は確認できない。二行目に「史」と思われる文字の部分があることから、おそらく「魏故并州刺史薛君銘」と書かれていたのではないかと推測される。銘石の銘文は、26行、一行あたり26字で書かれ、合計662字ある。書風はしっかり書かれた楷書体である。銘石の側面には、植物の紋飾が施されている。北魏資料と比べても遜色はなく、相当に手の込んだ墓葬が成されたと思われる。特徴的なのは「料珠」と言われる球形の球が7件あり、紫、青緑、赤色の瑪瑙石である。 墓主の薛懐吉であるが、墓誌銘から本貫は加東汾陰であることがわかる。現在の山西省万栄であり、出土地点と一致する。洛陽に埋葬されず、故郷に埋葬されたことがわかる。また、正光4年5月11日(523)に汾州の自宅で死亡し、1年後の孝昌2年11月19日(526)に自分の本拠地の近くの「大疑」の東に埋葬されたことが分かる。 今年度までに作成した90万字のデジタル化した墓誌銘と比較すると、薛氏のものが複数見られる。これらは女性の物が多く、他族との婚姻関係もある。銘文には約400ほどの二字熟語があるが、これらをこのデータと比較すると、他の北魏資料とほぼ共通する。これからは、撰文者も洛陽に住む知識の高い者の作であることが推定される。
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Strategy for Future Research Activity |
新型コロナ禍以降、現時点まで、中国本土への入国のビザ免除が解禁されていないが、令和6年度中にはビザ取得をし、中国北部の調査を実施する計画をしている。北朝の墓誌資料は、北魏のものは洛陽に、東魏・北斉のものは、河北省磁県と河南省安陽に集中していると思われたが、近年の報告書をみると、山西省南部出土の北魏墓誌が多いことが分かってきた。最終年度中に調査の実施ができるかどうか不透明であるが、この地域の墓誌と造像記の出土状況を確認し、特に、移動が可能な資料について、洛陽との関連性が認められるかを精査したい。仮に関連資料が多ければ、北魏時期の首都から周辺地域に石刻資料が拡大している証左になり、どのように物が運搬されたのかを考える契機になると思われる。山西省南部は、三門峡に阻まれているが、西安と洛陽の中間地点に位置し、運城や臨汾という石刻資料が多く発見されている地区がある。また、黄河が北上する地点には華陰という地区があり、華陰からも墓誌資料が多く出土している。ただ、そこの資料は洛陽のものと書風が異なっており、これらの解明を行う必要がある。今後は、洛陽から調査の範囲を拡大し、洛陽郊外から西安の東までの資料を精査したい。
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