四川地方唐前期・盛唐時期(705-755)摩崖造像龕の中国仏教美術史上の新評価
Project/Area Number |
22K00178
|
Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
|
Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 01060:History of arts-related
|
Research Institution | University of Tsukuba |
Principal Investigator |
八木 春生 筑波大学, 芸術系, 教授 (90261792)
|
Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
小澤 正人 成城大学, 文芸学部, 教授 (00257205)
|
Project Period (FY) |
2022-04-01 – 2025-03-31
|
Project Status |
Granted (Fiscal Year 2023)
|
Budget Amount *help |
¥4,160,000 (Direct Cost: ¥3,200,000、Indirect Cost: ¥960,000)
Fiscal Year 2024: ¥1,560,000 (Direct Cost: ¥1,200,000、Indirect Cost: ¥360,000)
Fiscal Year 2023: ¥1,300,000 (Direct Cost: ¥1,000,000、Indirect Cost: ¥300,000)
Fiscal Year 2022: ¥1,300,000 (Direct Cost: ¥1,000,000、Indirect Cost: ¥300,000)
|
Keywords | 敦煌莫高窟 / 初唐窟 / 盛唐窟 / 統一様式 / 開元時期 / 蒲江地区摩崖造像龕 / 飛仙閣区 / 大仏坪区 / 西安唐前期仏教美術 / 四川地方 / 盛唐時期 / 仏教摩崖造像龕 / 墓葬美術 / 長江以南 |
Outline of Research at the Start |
本研究では、唐前期・盛唐時期(705-755年)における中国四川地方を中心とした中国南方(長江以南)の仏教造像活動を再現し、中国北方(長江以北)の様相と比較することでその違いを明確にする。これにより中国仏教美術の到達点である盛唐時期の、四川地方の摩崖 造像龕像の様式、形式及び造龕思想の独自性が理解される。四川地方は、唐後期(中、晩唐 時期)に西安に代わり、仏教文化の中心となる。このことから、その起点として四川盛唐仏教造像を、中国仏教美術史上に位置づける新たな評価を目的とする。
|
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は四川地方の初唐、盛唐時期(618-755年)と中原地方の仏教美術との比較研究をおこなった。西安付近には石窟が少なく出土造像も少ないため、その時期中原地方の影響を強く受けた敦煌莫高窟唐前期(初唐、盛唐時期)の塑像や壁画についての考察をおこなった。 敦煌莫高窟では、本尊如来坐像の場合、初唐時期初期の第57窟では隋時代の様式、形式を強く残したが、第322窟において本尊の上半身は台形を呈し、片方の足先の形が袈裟の布を通して看取されるようになる。そしてこの像と関連する第2期初頭の第220窟(642年)本尊が備える諸形式が基準となり、その後に開かれた諸窟の像に強い影響を与えた。これはまた馬周造像(639年)と類似した形式で、それゆえ敦煌莫高窟では、630年代の西安起源と考えられる諸形式が640年代初頭に受容され、ひとつの典型とされたことが理解される。第220窟以降は、初唐時期末(則天武后期)の第328窟が、これまで敦煌莫高窟の唐前期を代表するものとして広く知られてきた。 しかし高水準の表現様式、形式を獲得したにも関わらず、敦煌莫高窟の工人たちは、それを盛唐時期において捨て去る。玄宗の開元時期(713- 741年)に入ると、中国の多くの地方、地区で中宗、睿宗時期の造像水準を超すことが出来ず、反動として像は均整を崩す方向へと向かった。本尊の膝張りが上半身に比して大きな第171窟本尊や第45窟本尊のように、肥満した如来坐像が現れる。しかしこれらの類例は、山西地方や河北地方にも存在する。それゆえこれは、敦煌莫高窟の自律的な展開ではなく、西安からの情報による変化であったと考えられる。初唐時期と盛唐時期の違いとして、前者は西安からの情報を利用し、敦煌莫高窟の地域性を形成したのに対して、西安地方の流行形式の受容が重視された後者では、中国各地に見られる、統一的な様式、形式に近い像が造り出された。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本年度は昨年度までとは異なり、ビザの取得に長い時間を必要としなくなったことから、ようやく中国においての現地調査を行うことが可能となった。そこで敦煌莫高窟に赴き、唐時代前期(初唐、盛唐時期)の石窟に多く入り、主として塑像の調査をおこなったが、同時に初唐時期を中心とした壁画(樹下説法図)についての調査もおこなった。敦煌研究院の趙声良書記の支援によって、これまでに見ることのできなかった窟を含む、合計60窟以上の石窟の中に入ることができた。具体的には、第66窟や第71窟、第171窟、第205窟、第320窟、第384、第375、第381窟などで、窟内では長時間に亘りスケッチを中心とする観察作業をおこなった。これにより初唐及び盛唐時期の敦煌莫高窟の塑像の特徴やその形式変遷、またそれらと西安仏教美術との関係について考察することが可能となった。さらに窟の左右壁面に描かれた浄土図の初唐時期から盛唐時期にかけての変遷についても多くの知見を得ることができた。この実地調査による成果及び、調査以前におこなった資料整理等の作業を基礎として、雑誌『敦煌研究』2023-4や2024-2、また『中国考古学』(2024)に論文を発表した。 一方、四川地方の摩崖造像龕については、本年度は、未だコロナ禍以前のように、自由に調査を行える状況にはなかった。四川地方のこの時期の摩崖造像龕は、その多くが小規模であり、各地に、しかも農村に点在している。車を借り上げるにしても、日本人のみでの調査は、場所によっては認められない可能性もあり、そのため本年度は、四川地方に関しては、私たちがこれまでに収集した資料の整理や、近年数多く出版された数多くの摩崖造像龕についての書籍や論文の翻訳等の作業をおこなった。
|
Strategy for Future Research Activity |
本年度には実施できなかったが、来年度には、四川省の文物局と連絡をとり許可を得た上で、四川大学の准教授である王友奎先生の調査に同行する形で、岷江流域の摩崖造像龕についての調査を現在計画している。岷江流域に点在する仏教遺跡は、盛唐時期以降、中唐、晩唐時期における四川仏教造像活動の重要な中心地の一つであり、そこには数多くの摩崖造像龕が穿たれた。岷江上流、中流、下流にはそれぞれ、西方浄土変相龕をはじめとする、重要な龕が幾つもの存在することが知られている。しかし、摩崖造像龕の中には風化が酷く、その内容がよく分からないものもあり、公開されている写真も十分ではなく、細部が不明確なものも多い。 具体的には、龕内の床面に蓮池と思われる表現がなされていても、どの部分が蓮池で、どの部分がその中の宝壇であるか、不明確な場合が多い。そのような龕は正面或いは下方から見上げるのではなく、上方から見ることで、幾つもの問題が解決すると考えられるが、残念ながら必要な角度から撮影した写真は、現在ほとんど公開されていない。そのため実地調査が不可欠であるため、現在、王友奎先生と、調査において最も適している方法がいかなるものであり、それが実行可能であるかどうかを検討している。西方浄土変相図は、敦煌莫高窟の初唐及び盛唐時期そして中唐、晩唐時期にも数多く描かれたことが知られている。本年度の実地調査により、敦煌莫高窟の場合、初唐時期と、盛唐、そして中唐、晩唐時期の西方浄土変相図の間には、大きな違いが認められ、それぞれが備える特徴が明らかとなった。そこで得られた知見を基に、敦煌莫高窟と岷江流域の盛唐時期及び中唐、晩唐時期の西方浄土変相図とを比較することで、四川地方と中原地方との類似と相違点を明らかにし、四川地方の独自性を明らかにできると考える。
|
Report
(2 results)
Research Products
(7 results)