Project/Area Number |
23K00437
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 02040:European literature-related
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Research Institution | Hitotsubashi University |
Principal Investigator |
糟谷 啓介 一橋大学, その他部局等, 名誉教授 (10192535)
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Project Period (FY) |
2023-04-01 – 2026-03-31
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Project Status |
Granted (Fiscal Year 2023)
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Budget Amount *help |
¥2,860,000 (Direct Cost: ¥2,200,000、Indirect Cost: ¥660,000)
Fiscal Year 2025: ¥910,000 (Direct Cost: ¥700,000、Indirect Cost: ¥210,000)
Fiscal Year 2024: ¥910,000 (Direct Cost: ¥700,000、Indirect Cost: ¥210,000)
Fiscal Year 2023: ¥1,040,000 (Direct Cost: ¥800,000、Indirect Cost: ¥240,000)
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Keywords | 近代イタリア / 言語文化 / レヴァント地方 / 移動 / コロニアリズム / モダニズム / イタリア / レヴァント |
Outline of Research at the Start |
中世以来、地中海東部のレヴァント地方は多数の民族が行き交う混成的な空間であった。本研究では、レヴァント地方のイタリア人の存在に光を当て、イタリアの言語文化とレヴァント地方とのあいだの関係性を明らかにする。具体的な対象としてはイスタンブルとアレクサンドリアという二つの都市を取り上げる。そして、イタリア本国の知識人がそれらの都市に対してどのような眼差しをもって臨んだか、また、それらの都市出身の文学者が本国の文化に何をもたらしたかを考察する。これらの研究を通じて、19世紀以降、レヴァント地方がイタリアに対してもちえた文化的意味を考察する。
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Outline of Annual Research Achievements |
令和5年度には、イスタンブルとアレクサンドリアというレヴァント地方を代表する二つの都市を対象として、19世紀後半から20世紀前半にかけてイタリア人がもたらした文化的影響を相互に比較しながら研究した。その結果、二つの都市に共通する側面と相違する側面が明らかとなった。ひとつは都市の近代化が空間構成における多民族化・多言語化を推進したことである。イスタンブルのイスティクラル通り、アレクサンドリアのフアード通りでは、商業活動の活性化に伴い、複数の民族・言語・宗教が隣り合って共存する空間が生まれた。そこでイタリア人は、ギリシア人、アルメニア人、ユダヤ人と並んで、重要な位置を占めていた。中世以来、ヴェネツィア、ジェノヴァなどの交易都市とオスマン帝国は貿易上深い結びつきを持っており、イスタンブルにはイタリア人コミュニティが古くから存在していた。しかし、1861年に統一イタリア王国が成立するまでは「イタリア人」意識は明確なものではなかった。こうして、19世紀後半は、オスマン帝国の近代化とイタリア人自身の「国民化」という二つの動きが同時並行的に進められた。 アレクサンドリアにおけるイタリア人の活動はそれよりは遅れて進行した。スエズ運河建設に大量のイタリア人労働者が参加したこと、エジプト王家が多くのイタリア人の建築家や技術者を呼び寄せたこと、1882年のイギリス軍の砲撃による市街の徹底的破壊の後の建築の需要があったことなど、アレクサンドリアに特有の状況があった。しかし、この二つの都市に共通するのは、都市空間の近代化が独特のコスモポリタニズム的文化を促進したこと、そして建築の領域でイタリア人の建築家、芸術家、技術者が果たした役割が大きかったことである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
現在まで研究は順調に進行している。研究が進むにしたがって、新たに浮かび上がって来た問題を通して、当初は予想しなかった成果を手に入れることができた。とくに、都市の近代化の問題に取り組むにつれて、都市の空間構成と多民族・多言語的な文化変容の関係のなかに乱された複雑な様相が明らかとなった。研究の出発点として、「レヴァント人」の定義の明確化を行った。「レヴァント人」とは、本土から離れてレヴァント地方に住み着くか、あるいはそこで生まれたイタリア人の末裔を指す言葉であるが、文脈によって、さまざまに異なる意味が担われることがあり、研究はその点に注意して進めるべきことを確認した。その背景には、ヨーロッパとオスマン帝国との複雑な関係がある。 イスタンブルの近代化がいわゆる旧市街ではなく、外国人の多く住む新市街――それを代表するのがイスティクラル通りである――を中心に進められたことはよく知られているが、それを単にヨーロッパからの一方的影響とだけみなすわけにはいかない。たとえば、興味深い事例として、イスタンブルにおける「パサージュ」が挙げられる。「パサージュ」とはドイツの思想家ベンヤミンが19世紀の近代都市パリを造形する象徴として取り出した空間のあり方であるが、研究の途上で「パサージュ」がイスタンブルにも多くみられ、しかもそれらが今でも商店街として機能している事実が発見できた。また、アレクサンドリアにおいては、国王の名前を冠した「フアード通り」がアレクサンドリアのコスモポリタニズムの象徴として、過ぎ去った「近代」の痕跡をいまだに残していることを確認した。こうした都市の近代化と空間構成の問題に取り組んだことで、研究は大きく発展したが、まだ探索途上の問題もあったため、まとまった論文として完成させることはできなかった。成果発表は次年度以降の課題となる。
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Strategy for Future Research Activity |
令和6年度においては、イスタンブルに焦点を絞って研究を進める。まず文化的領域におけるイタリア人の活動に光をあてて、イスティクラル通りに象徴される近代空間がどのように構築されたのかを考察する。その際には、文献調査と現地調査を組み合わせて進めることが重要である。重要なポイントは、イタリア本国からの視線がイスタンブルの「レヴァント人」をどのように理解し、どのように扱おうとしたかを確認することである。そのための重要な資料は、エドモンド・デ・アミーチスの紀行文『コンスタンティノープル』(1878)である。デ・アミーチスといえば何といっても『クオレ』が有名であるが、ヨーロッパでデ・アミーチスの令名を高めたのは、むしろこの紀行文であった。19世紀ヨーロッパで外部の世界への紀行文が求められるようになったのは、非西欧世界への好奇的関心が高まったことだけでなく、移動手段の簡易化と遠隔化にともなうツーリズムの発生、そして作家の生計の糧としてのジャーナリズムの成立が要因となっている。したがって、それまでの紀行文と違って、19世紀の紀行文は必然的にガイドブックの性格をあわせもつことになる。イスタンブルについては、ゴーティエ、ネルヴァル、フロベールなどの例があげられる。しかし、こうしたフランス人による紀行文とデ・アミーチスのものが決定的に異なるのは、イスタンブルでデ・アミーチスが、同胞でありつつ言語も風俗も異なる「レヴァント人」に出会ったことである。そのときのデ・アミーチスの奇妙な反応の意味を考えることで、本国イタリアにとって「レヴァント人」がいかなる存在であったかを考察する手がかりとしたい。また、19世紀末に「レヴァント人」に向けて設立されたさまざまな団体の活動を跡付けることで、いかにして「レヴァント人」が本国からの「国民化」の対象になったかを考察する。
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