Project/Area Number |
23K00878
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 03030:History of Asia and Africa-related
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
佐川 英治 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 教授 (00343286)
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Project Period (FY) |
2023-04-01 – 2026-03-31
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Project Status |
Granted (Fiscal Year 2023)
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Budget Amount *help |
¥4,680,000 (Direct Cost: ¥3,600,000、Indirect Cost: ¥1,080,000)
Fiscal Year 2025: ¥1,690,000 (Direct Cost: ¥1,300,000、Indirect Cost: ¥390,000)
Fiscal Year 2024: ¥1,690,000 (Direct Cost: ¥1,300,000、Indirect Cost: ¥390,000)
Fiscal Year 2023: ¥1,300,000 (Direct Cost: ¥1,000,000、Indirect Cost: ¥300,000)
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Keywords | 中国古代 / 碑文習慣 / 中国 / 古代 / 碑文 / 石刻 |
Outline of Research at the Start |
古代中国における碑の流行の具体的な内容やその社会背景を明らかにすることで、同時代のヨーロッパや、中国から碑文が伝わりながらその受容の仕方にちがいがある朝鮮や日本との比較に新たな視野を開く。将来的には碑文を通じて世界の歴史をみるグローバル・ヒストリーに発展させる。本研究はその出発点となる基礎研究である。
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Outline of Annual Research Achievements |
後漢時代の曹全碑についての研究をおこなった。曹全碑は2世紀末の曹全という人物を顕彰した碑で、漢代の隷書を代表する優品として日本でもよく知られている。現在は西安の碑林博物館にある。この碑は建てられてからそう遠くない時期に碑陽を下にして地中に埋まったようで、明代に発見されたときは碑陽の文字は1字も欠けるところがなかった。その後、明末に大風で倒れた樹の下敷きになって碑が二つに折れたりして徐々にいくつかの字を失っていった。曹全は西域戊部司馬となって疏勒への遠征に参加したり、党錮の禁にあって七年間も自宅で謹慎処分を受けたり、現在の甘粛省にあった禄福県という県の長官であったときに県内におよんだ黄巾の乱の動揺を鎮めたりと活躍したのち、現在の陝西省にあったある県の長官となった。曹全はこの県で数々の仁政を敷いたようで、後漢霊帝の中平二年(185)に彼の属僚や県下の人々がその功績を頌えるために建てたのがこの碑である。中国で石碑が多くなるのは2世紀の後半半ば以降であり、主に死者を頌える墓碑などの顕彰碑が多く建てられるようになる。その背景にあるのが、当時の朝廷を壟断していた宦官・外戚に対する怨みと学徳のある人物が正当に報われないことへの不満であった。この碑にも「旧姓及び修身の士、官位登らず、君は乃ち縉紳の徒の濟われざるを閔れみ」とあって、当県の名望ある人々の官界進出に曹全が心を砕いていたことが書かれている。建安十年(205)、献帝を操る擁立する曹操は、薄葬令を出して人々が勝手に碑を建てることを禁じた。内容が事実とそぐわないと見なされた碑は倒されもした。もしかしたら、このときに曹全碑も倒すことを命じられたが、彼を慕う人々によってそっと傷つけないように埋められたのかもしれない。また碑文資料を利用して中国古代の君主号の意味とその変化についての研究をおこなった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
後漢三国両親時代の碑文に関する資料の整理を進めたが、本来期していた網羅的な収集を完遂させるまでにはいたらなかった。一方、本研究は古代の中国と他の地域との碑文習慣の比較を目的の一つとしているが、この方面では、日本の宇治橋断碑、仏足石・仏足跡歌碑、宇智川磨崖碑、ローマのローマ国立博物館やバチカン美術館、考古学博物館、イスタンブールの考古博物館などで膨大な数のローマ帝国碑文を実見してその性格を理解し、関係する資料をもちかえることができた。
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Strategy for Future Research Activity |
後漢三国両親時代の碑文の網羅的収集を完成させ、この時代の碑文の盛衰について、これまでにないレベルでの、できるだけ具体的、客観的なデータを提示する。一方で、中国での現地調査をおこない、新資料や碑文の写真資料、立地の地理的な環境などについて情報を収集し、碑文の読解や社会背景の分析に役立てる。そのうえで、碑文習慣の盛衰の背後にある社会のあり方をローマや日本の碑文習慣の状況とも比較しながら明らかにしていく。
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