Project/Area Number |
23K12333
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Research Category |
Grant-in-Aid for Early-Career Scientists
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Allocation Type | Multi-year Fund |
Review Section |
Basic Section 04020:Human geography-related
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Research Institution | Kyoto Tachibana University |
Principal Investigator |
前田 一馬 京都橘大学, 経済学部, 専任講師 (60962305)
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Project Period (FY) |
2023-04-01 – 2025-03-31
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Project Status |
Granted (Fiscal Year 2023)
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Budget Amount *help |
¥1,300,000 (Direct Cost: ¥1,000,000、Indirect Cost: ¥300,000)
Fiscal Year 2024: ¥520,000 (Direct Cost: ¥400,000、Indirect Cost: ¥120,000)
Fiscal Year 2023: ¥780,000 (Direct Cost: ¥600,000、Indirect Cost: ¥180,000)
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Keywords | 高原 / 景観/風景 / 表象 / 観光資源 / 歴史地理学 / 風景・景観 |
Outline of Research at the Start |
明治期以降、箱根・軽井沢・那須などの標高が高く開豁な場所は、保養地として注目されはじめた。そのような場所は「高原(こうげん)」として表象されることもあり、次第に人々に親しまれていくようになる。現在、地名の語尾に高原を置いた「〇〇高原」といった場所は、各地で代表的な観光地となっているが、高原という言葉は、どのような過程で登場し、いかなる特徴の場所をあらわすようなったのであろうか。本研究は、地理学の立場から近現代の日本において、高原と呼称される場所が表象されるようになる契機とその社会的なコンテクスト、高原に対する認識像の特徴や変化、そして観光空間としての利用形態の変化を明らかにする。
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Outline of Annual Research Achievements |
日本の近代化期に避暑地や保養地として注目されはじめた箱根・軽井沢・那須などの、標高が高く開豁な場所は、「高原(こうげん)」として表象されることもあり、在日欧米人や日本人に親しまれていった。本研究は、地理学の立場から近現代の日本において、高原と呼称される場所が表象されるようになる契機とその社会的なコンテクスト、高原に対する認識像の特徴や変化、そして観光空間としての利用形態の変化を明らかにすることが目的である。とりわけ、高原がいかなる社会背景のもとで、風景として人々に受容され、経験される場所となっていくのかという過程とその帰結を解明する。 研究期間初年度にあたる2023年度は、これまでの風景に関する諸研究をふまえつつ、高原の言説に関する作業を進めた。具体的には、山岳専門雑誌の特集を検討した。当該特集には近代日本の山岳風景のまなざしの構築に重要な役割を演じてきた地理学者、民俗学者、植物学者、著述家、画家など総勢50名が寄稿している。これらテクストを分析すると、厳格な意味のアルピニズムの場=山岳とは異なる場(低山趣味)としての高原像が看取される。たんなる地理学・地形学用語であるだけでなく、情緒的な用語として受容された可能性が高い。また人間文化研究機構の「歴史地名データ」をGIS環境において分析した結果、旧版地形図において高原と表記された早い事例のひとつは志賀高原であることが判明した。これらの知見は研究論文として発表する予定である。 個別・具体的な高原の事例については、高原的な風景のひとつである「湖」に着目した。戦後軽井沢にあった湖の消長について調査し、成果は軽井沢新聞社の発行する『軽井沢ヴィネット134号』(2024年4月)へ寄稿した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
4: Progress in research has been delayed.
Reason
「遅れている」としたのは、明治期以降において高原という語はいつ登場し、どのように定着していくのか、いかなる特徴の場所をあらわすようになっていくのかを検討する作業が想定より難航したことにある。言説分析の資料となる新聞記事・雑誌・旅行案内書・随筆・文学作品、そして視覚資料としての地図・絵図・絵葉書・絵画など、高原に関する記載のみられる資料は多岐に及ぶ。小島烏水・小暮理太郎・武田久吉らなど、近代山岳風景へのまなざしに重要な役割を担った人物たちの言説の渉猟に時間がかかっている。【研究実績の概要】に記したように、山岳専門雑誌による高原への注目、地形図における「高原」地名の出現を勘案すると、少なくとも昭和初期頃には、式正英(地理学者)の指摘した高原避暑地の意味を含めた高原の意味の拡大が進展したものと予想される。この知見からおもに昭和初期を中心とした時期に着目し、古書店を通じて資料を収集した。とくに大正後期・昭和戦前期における旅行機運と高原の関係に着目した分析を進め、成果の取りまとめに取り掛かっている。他方、個別・具体的な高原を取り上げ、どのような契機でいかなる開発がなされ、レジャー空間などとして意味づけられたのかを明らかにする、という作業についてもより複数の場所の事例の検討を目指していたものの、長野県の志賀高原と軽井沢の調査にとどまった。とくに景観観察のフィールドワークを実施し、軽井沢については古書店を通じた資料入手、軽井沢町町立図書館で資料収集が終了し、さらに高原イメージの強化について分析を進めている段階である。以上のように、当初の計画に照らしあわせると、「遅れている」と位置づけるのが妥当と考える。
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Strategy for Future Research Activity |
2024年度は研究の最終年度となるため、これまでのやや断片的な研究の知見を体系的に取りまとめ、研究論文として公表することに努める。具体的には、近代山岳風景に関する資料から時期ごとに画期となる事柄に依拠しつつ、とくに昭和初期を中心とする「高原」の表象が相対的に高まりを見せる時期に集中して考察を進めていく。高原イメージが一般に流布するのに視覚媒体の影響も重要である。丸山晩霞など山岳画家の活躍、絵葉書の流通なども見逃せないため、可能な限り分析の俎上にのせる。事例研究の遂行について、軽井沢のみならず他地域の状況とも比較する必要がある。調査を実施することのかなわなった高原、西の軽井沢と称される岡山県蒜山高原などを適切に選定し、長期休暇を利用し現地協力者の支援のもとでフィールドワークと資料収集を実施し、分析を実施する。必要に応じて追加調査を実施しつつ、一連の研究を、高原がいかなる社会背景のもとで風景として人々に受容され経験される場所となっていくのかいう主題のもと、高原をめぐる空間文化誌として総括することとしたい。
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