Project/Area Number |
23K18706
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Research Category |
Grant-in-Aid for Research Activity Start-up
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Allocation Type | Multi-year Fund |
Review Section |
0103:History, archaeology, museology, and related fields
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
岩本 葉子 京都大学, 人間・環境学研究科, 人文学連携研究者 (30979208)
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Project Period (FY) |
2023-08-31 – 2025-03-31
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Project Status |
Granted (Fiscal Year 2023)
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Budget Amount *help |
¥910,000 (Direct Cost: ¥700,000、Indirect Cost: ¥210,000)
Fiscal Year 2024: ¥390,000 (Direct Cost: ¥300,000、Indirect Cost: ¥90,000)
Fiscal Year 2023: ¥520,000 (Direct Cost: ¥400,000、Indirect Cost: ¥120,000)
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Keywords | 藩邸処分 / 京都 / 明治初期 / 土地所有 / 藩債処分 / 近世近代移行期 / 明治 |
Outline of Research at the Start |
本研究は、京都の藩邸処分を事例として近世近代移行期の都市における土地所有の実態―土地をめぐる人びとの動向、関わり方、利用方法―を解明するものである。 藩邸処分による武家地の解体は身分別居住の否定の本格的な開始として位置づけられるが、複雑化した既存の権利関係解消には手法の模索を要した。そこで文献史料(文書)と視覚史料(地図や絵図)を用いることで非直線的な改革過程と既存の実態との関係を検証する。さらに個別事例に着目するミクロな視点から実態の変化を把握すると同時に、都市構造の変化を捉える広域分析により事例の位置づけを明確化することを目指す。
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Outline of Annual Research Achievements |
本年度は、京都における藩邸処分の特質解明に取り組み、その成果を「京都における藩邸処分の過程とその特徴」(塚田孝・吉田伸之・杉森哲也編『都市・周縁〈史料と社会〉科研報告書 近世巨大都市・三都の複合構造とその世界史的位置』所収、課題番号20H00030)としてまとめた。 武家地の解体は多くの城下町で実施されており、とくに都市の大部分を藩邸が占める江戸東京における藩邸処分については、既に研究蓄積が存在する。江戸では藩邸は拝領が基本となるため、藩邸処分も拝領実績を考慮しながら進められていたことが明らかとなっている。一方で、京都の藩邸は拝領・拝借も一部には存在するが、多くが買得・貸借された土地に成立している。この点を踏まえつつ、京都の藩邸処分過程で作成された資料から明治初年の藩邸の利用や権利関係、処分過程の関係を検討した。 京都の藩邸処分は明治3年太政官布告に基づく時期と、明治5年太政官布告に基づく二段階で進められており、以下四つの特質が見いだされる。①初期の段階では上地は既定路線ではなく、桑茶植付などの土地活用がなされていれば藩邸維持が許容された。ここでは藩邸の荒蕪化対策が目的であり、その手段の一つとして上地が存在した。②周辺村部に所在する藩邸の方が面積は広い傾向にあるが、市街地の藩邸も沽券地としては大規模と評価できる。③七街の藩邸は不動産経営の可能性、質入れ物件としての価値を有するため権利関係が複雑化しており、処分が遅れがちであった。④廃藩置県により藩財産が大蔵省の管轄となったため、藩債処分を前提とした強制的な上邸(土地と建物を含む)が可能となった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
研究計画時では、①藩邸処分による権利関係の解消過程の検討、②藩邸処分後の土地所有実態の解明を予定していた。令和5年度はおもに①に取り組むことで、解消過程の全体像から東京との比較が可能とし、京都の特質として位置づけることを試みた。 京都の藩邸については明治元年から石高に応じた在京藩士数の制限、公用人や用弁の設置など、藩士の帰郷を促す政策がとられてきた。これにより藩邸の荒蕪化が進むこととなり、明治3年以降に本格的な藩邸処分が進められることとなる。その過程を京都府立京都学・歴彩館が所蔵する行政文書のうち、明治3年太政官布告に対応する「諸藩邸上地件」、明治5年太政官布告に対応する「旧藩々邸奉還並売却一件」、「旧藩々邸奉還並売却件」を用いて藩邸の利用状況、処分の進捗などを検証した。また「諸藩邸上地件」の附図の写しとみられる三井文庫所蔵「諸侯京都藩邸絵図」からは藩邸の立地や規模、土地の権利関係、建物の配置などの情報を整理した。 明治3年太政官布告では桑茶植え付け、売却、上地のいずれかの対処が求められたが、「諸藩邸上地件」に寄せられた各藩からの回答では、返上、返却、売却、譲渡などの処分方針を明確にしているのは一部に限られ、多くが桑茶植え付けによる維持あるいは明確な回答を避けている。 しかし明治5年太政官布告では土地と建物を合わせた上邸が指示され、同年5月に京都府は大蔵省へ上邸の進捗状況を返答している。そこでは市街地の58邸が記載されており、市街地の藩邸の方が処分が遅れる傾向にあったことが判明する。さらに「旧藩々邸奉還並売却一件」、「旧藩々邸奉還並売却件」には各藩から京都府への上申書が複数記されており、各藩が抱える事情がうかがえる。市街地の藩邸については質入や貸借などの実態、藩邸確保の経緯に基づく複雑化した権利関係が読み取れた。
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Strategy for Future Research Activity |
令和6年度は②藩邸処分後の土地所有実態の解明を注力する。とくに「諸侯京都藩邸絵図」や「旧藩々邸奉還並売却一件」、「旧藩々邸奉還並売却件」によって、藩邸の立地や形状、建物の存在、権利関係などが判明する藩を中心に取り上げる。また、これらについてはできるだけ藩邸の成立経緯についても検討することとする。近年、京都の大名屋敷に関する検討が進み、幕末の藩邸については多様な空間利用、権利関係が存在したことが指摘されている。そのなかで短期的に存在した藩邸では、既存の建物が活用され、処分後も従来の空間秩序へ復帰しやすかった可能性が指摘されている。この点を踏まえ令和5年度に藩邸の具体像がある程度判明した藩邸を中心に、藩邸の成立経緯から処分後の流れを個別事例に即しながら一連の流れとして検証する。 藩邸処分後の土地所有の展開については、都市の近代化にあたり旧武家地が転用される事例は多くの都市で確認されており、京都でも勧業政策や教育施設の整備に活用されたことが知られている。ただしそうした土地は幕末に増加した藩邸地のごく一部であり、多くは民間への払下げ対象とされた。まずは官有地・民有地の分類、さらに払下げ時に優先的に所有権が認められる対象者やその事由といった社会的背景を整理する。そしてその後の土地所有権の移動や利用方法といった空間的変化を検討する。 払下げの対象地や対象者の選定については京都府行政文書に記録されおり、明治22年以降については旧土地台帳や公図(法務局所蔵)から所有者や敷地割の変遷が判明する。さらに一部地域については町組レベルで作成された文書のなかに明治前期の詳細な絵図が確認できる。また、個別藩邸の史料としては、鳥取藩の京都詰藩士が記した日記の調査を予定している。
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