Project/Area Number |
23KJ1693
|
Research Category |
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
|
Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 国内 |
Review Section |
Basic Section 09010:Education-related
|
Research Institution | Kyushu University |
Principal Investigator |
秋永 沙穂 九州大学, 人間環境学府, 特別研究員(DC2)
|
Project Period (FY) |
2023-04-25 – 2025-03-31
|
Project Status |
Granted (Fiscal Year 2023)
|
Budget Amount *help |
¥1,200,000 (Direct Cost: ¥1,200,000)
Fiscal Year 2024: ¥600,000 (Direct Cost: ¥600,000)
Fiscal Year 2023: ¥600,000 (Direct Cost: ¥600,000)
|
Keywords | 女子中等教育 / 世俗化 / 教育の平等 / フランス |
Outline of Research at the Start |
本研究は、フランス第三共和政期女子中等教育における歴史教育の意義を、ボルドー地区の女子リセに着目しつつ、女子中等教育の世俗化の文脈で解明することを目指すものである。特に、本研究では、女子中等教育法の推進者であったカミーユ・セーの「歴史教育の中で女性の役割を教えるべきだ」という主張とそれへの反論に着目することで、当時の歴史教育(観)と女性との関係について解明することを目指している。また、フランスの中でも教育の世俗化についていち早い理解を示したボルドー地区に着目することで、女子中等教育における歴史教育の世俗化の一例を抽出することを試みる。
|
Outline of Annual Research Achievements |
2023年度は、1890年代のフランスにおける女子中等教育の世俗化の停滞に焦点を当ててて研究を進めた。特に1880年に制定された女子中等教育法と、その立案者カミーユ・セーの論理と批判を詳しく検討した。 この法律が成立する以前、フランスの女子中等教育の主な担い手は教会・修道院でありその対象もブルジョワ階級の娘たちであったが、1880年の法制定により奨学金制度も導入され、より多くの民衆の娘たちが中等教育を受ける道が開かれた。しかし、1890年代には民衆の娘を追い出すような「ブルジョワ化」の動きが強まった。この動向に対し、セーは教育の平等権を強調し、女子教育の世俗化がブルジョワ階級の特権によって制約されることへの批判を展開していた。これまでの研究では、女子中等教育の「ブルジョワ化」と世俗化の関係が十分には論じられてこなかったが、セーの批判を検証することで、教育の平等性と世俗化の進展が密接に関連していることが明らかとなった。 2024年2月中旬から3月上旬にかけて、フランスの南西部の都市ボルドーで史料調査を行った。現地では、1883年にボルドーにおいて女子リセが開校されて以降、通学のためのオムニバス制度が整備されていたことを窺わせる史料、ボルドー周辺地域の女子リセの情報を収集していたことを示す文書などを収集した。また、女子リセ開校以前に行われていた女子中等講座についても、その時間割や教育内容、周知方法などを示す史料を収集した。さらに、本研究が対象とする女子中等教育における歴史教育についても、女子中等講座の段階からすでに男性教員による世俗的な歴史教育が行われていたことを示す史料を収集できた。これら収集した史料を用いてボルドー地域で世俗的な女子中等教育が進められた(あるいは受け入れられた)様相を明らかにすることで、フランスの地方都市における女子中等教育の実施の具体について解明していく。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
令和5年度はボルドー地区に着目して研究を進める予定であったが、女子中等教育法の推進者でありその名を冠するカミーユ・セーがユニヴェルシテ(大学から初等教育までの公教育教職員団体であり同時に行政機関であるため、女子中等教育に関してもその教育内容の策定などを行った)と対立していたことを示す史料が見つかったために、予定を変更してその対立の様相を解明することを試みた。第三共和政期における女子中等教育と世俗化の関係はこれまでの研究でも着目されてきた重要なテーマであるが、これまでの研究が論じてこなかった国家側の内部対立を示し得たことで、女子中等教育法によって一気に女子教育の世俗化が進んだのではなく、その後も議論を展開させながら(むしろセーにとっては世俗化を逆行させるように映る動きがあった中で)世俗化が徐々に進められてきた点を指摘することができた。(2024年1月末に研究の成果を論文としてまとめ、日本教育学会に投稿した。現在審査中である。)今後、ボルドー地区に着目して研究を進めていくが、ボルドー地区に焦点化する前にフランスの行政の中心(パリ)での動向を追ったことで、よりボルドー地区の特性に着目する意義が明確になったと考えている。
|
Strategy for Future Research Activity |
2024年2月中旬から3月上旬にかけてボルドーで実施した史料調査では、ボルドーの女子リセ(国立の中等教育機関)に係る史料だけではなく、第二帝政末期に実施された女子中等講座についての史料も収集できた。この女子中等講座とは、当時公教育大臣を務めていたヴィクトル・デュリュイによって考案・実施された世俗的な教育講座であり、ボルドーでも1867年から1883年まで行われた。これまでの研究では、このデュリュイによる講座は失敗したと結論付ける研究と、カミーユ・セーによる女子中等教育法につながる試みであったとする研究で評価がわかれている。これらの研究の中で、ボルドーの女子中等講座は「成功した」と論じられており、それは恐らく、1883年の女子リセの開校まで女子中等講座が続けられたことを踏まえての評価であると考えられる。しかし、その理由について具体的に解明している研究はない。今後の推進方策として、まずは、第二帝政末期の女子中等講座と第三共和政以降の女子リセとの「接続」の様相の解明を試みる。具体的には、女子中等講座を開始・維持した主体の論理や教育内容の具体の解明を通して、女子リセに対する女子中等講座の位置づけを明らかにする。次に、すでに指摘されているボルドー地域の「非カトリック的性格」、特にプロテスタントの側からみた女子中等教育や、今回の史料調査で明らかになった地域的な試み(オムニバス制度の設置、全国に先駆けたラテン語クラスの設置など)を、フランス全体における女子中等教育の世俗化の傾向の中に位置づけることを試みる。最後に、本研究が最も着目している歴史教育とその世俗化について、女子リセ設置以降ではなく第二帝政期の女子中等講座段階からその内容を明らかにし、女子教育において世俗の歴史教育が担った役割について、これまでの第三共和政期の歴史教育研究に位置づけて論じていく。
|