Research Abstract |
BCOF(英連邦日本占領軍)に関する資料をオーストラリア国立公文書館(キャンベラおよびメルボルン)より8200頁収集した。その内容は、BCOFの結成と引揚げ、構成と任務に関するものである。日本占領管理機構についても、従来、BCOFは米8軍,米在日海軍,米在日空軍の補助部隊として位置づけられていたが、今回の調査により、これら米3軍と並んで連合軍最高司令官マッカーサー元帥の権限の下に属すると同時に、英連邦在豪統合参謀本部(JCSA)の命令に服していた事実が判明した。また、BCOFが1945年に設立され、1955年に廃止されたこと、中国5県、四国4県に駐留しただけでなく、神戸,東京にも象徴的に駐留していた事実も明らかになった。さらに、BCOFの日本進駐,駐留地域,人数,役割などについては米政府と英連邦諸国政府との間に激しいやり取りがあったこと、日本からの早期徹退の理由が単に米政府に対する不満だけでなく、英連邦諸国の国内事情によることなどが解明できた。 フィールド・ワークでは、日本側の資料(公文書,図書,雑誌,新聞)を収集した。また、鳥取県米子市、境港市をはじめとするBCOF駐留地で、関係者から有益な聴き取りをすることができた。これらの調査から、米占領軍と英連邦軍の交替の時期、BCOFと米軍政府チームとのかかわり、BCOFの任務、活動などが当時の日本人には知る術もなかったことが判明した。その原因は、主としてGHQがBCOFに関する情報の伝達を制限したことによる。しかし、BCOF資料により活動の実態がかなり解明できた。たとえば、各部隊の軍務日誌から、彼らは闇取締り、朝鮮人の不法入国取締りなどには参加したが、占領の民事行政にはほとんどタッチできず、専らスポーツなどの隊内リクリエーションに明け暮れていた事実も分かった。M・ボールとの会見記録は近く刊行の予定である。
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