Research Abstract |
この調査研究の目的は, 主として14世紀にボヘミア, モラヴィアおよびスロヴァキア地方で成立した証文等の独語記録文書を当該地の文書館において調査収集することである. ドイツ標準語は一つの方言の上に発展成立したものではなく, 13ー16世紀におけるドイツ語圏の広い地域にわたる書き言葉の領域での, 言語平衡化現象の結果成立した, 文章語に基づいている. この新高独文章語成立の過程を解明するためには, 未刊行の記録文献資料によって当時の言語の実体を孝察する必要がある. 特に中世末期, 鉱山技術者, 農民, 商人等として移住したドイツ人によって開拓された東ヨーロッパ各地の独語文献は書き言葉の機能を考察する上で有力な資料となっている. 文書館資料は調査して, 初めて明らかになる部分が多い. この調査のもう一つの目的は, チェコスロヴァキアにおけるドイツ語記録文書出現の上限の年代を確認すること, 民族と民族語文章語成立の関係について新しい知見をうることである. 収集文献は14世紀に限定せず16世紀頃までの記録文書も対象とした. チェコスロヴァキアで成立した最も古い独語文献はTrebon国立地域文書館所蔵, Vyssi Brodのシトー派修道会文庫の証文(1300年)であった. 現在チェコスロヴァキアに存在する13世紀の独語文献はPraha国立中央文書館にあるボヘミアのヨハネ騎士修道会コレクション, Mailberg文庫の証文18件(1282ー1298)とBrnoのCollalto文庫の証文一葉(1293)であるが, これらは全てチェコスロヴァキアの外で成立したものである. 我々の設査した限りでは現在のCSSR国内で1299年までに書かれた独語文献は存在しない. ドイツ語文書としては14世紀成立のUrkundeが最も古いものに属する. 今回蒐集したもので14世紀前半のものはPraha(20),Trebon(19),Brno(14),Opava(1)と小数であるが, 同世紀後半になると飛躍的に増加する. Praha(45),Trebon(62),Znojmo(5),Brno(165)Brno2(8),Opava(12),Opava2(9),Olomouc(2). なほここにはMailberg,Collalto 文庫は含まれていないが成立地が確かめられないものも入っているので概数である. 成立地が明確な各種の官庁記録等は有力な初期新高独語資料である. 15世紀以降このような記録は各地に多数存在している. 我々は16世紀までを限度として概略次のものを蒐集した:Stadtbuch(Bratislava,Brno,Kosice,Olomouc),Rechtsbuch(Znojmo,Brno,Presov,Opava,Olomouc,Poprad,Bratislava),Rechnungsbuch等(Znojmo,Bratislava,Trnava),Testamentsbuch(Trnava,Znojmo)Korespondenz(Kosice,Trnava,Kremnica),Judenbuch(Znojmo),Chronik(Poprad),Protokoll(Brno,Znojmo,Banska Stiavnica). 使用言語の調査では対象にする文書資料によって大きな差があるので, ここではチェコ語文書がすでに1216年に南ボヘミアで成立していることをあげておきたい. 最古の独語文献もここで成立していた. 民族語の文章語成立の問題にとって考察に価する現象といえよう. 註 ( )内は件数, PrahaはCesky Korunyコレクションだけからの数である.
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