Research Abstract |
本調査の目的は遼寧省新賓満族自治県周辺に在存する後金国城址遺跡の現地調査を行う事により, 17世紀始めに勃興して全中国を支配した清朝(後金国)の国家形成の過程を明らかにする事である. 清朝の勃興と国家形成過程を示す小部族集団の根拠地の「山城」, 部族統一過程の根拠地「旧老城」, 満州民族の統一と後金国建国の拠点となった「老城」, 対明戦争の根拠地である「界凡城」と「薩爾滸城」, 遼東平野進出の拠点「東京(遼陽)城」, 清朝建国の「盛京(瀋陽)」などの各城址遺跡と各城址に残存する満漢文石碑の現状を調査し, 現状の調査結果を歴史記録と照合する事で歴史事実を明らかにする. 以上の調 査を補完するために, 新賓地域と隣接し, 後金国勃興に影響を与えた満族の鳥拉・輝発部族山城の調査, 〓案館等で満文〓案の調査と収集を行う. 1945年以後に清朝史研究者の城址・史跡調査は始めてに等しく, 中国の調査報告もないので, 以下に調査地ごとに現状の概略を列挙する なお, 各史跡は都市開発・農地化に伴う観光地化などのため変貎しつつある. 盛京城(瀋陽)=太宗時代構築の旧城壁, 城門は残在しない 整備された太祖・太宗の墓所を始めとする諸史跡も20C初頭の写真記録と照合と変容が認められる 碑文は北塔・遼寧省博物館内(非公開)碑林に集められている. 遼陽=遼陽城壁が僅かに残存するが城門はない 遼陽博物館内部(非公開)に満漢碑文が集められているが, 全く未整理状態 東京城は天祐門と門に連なる城壁の一部が残存 城内の宮殿祉は位置すらも明確ではない 旧来の碑・瑠璃瓦等が畑に散乱し, 土塀に使用されている 碑文は東京稜にある. 旧老城=全く未整理状態であり山裾一帯は耕地化され, 套城と外城壁及び各城門も殆ど不明 内城壁の一部と西門?門口は確認できる シュルガチ居祉等に碑や陶片が散乱する 汗王殿祉に土台石があり旧調査と照合が可能. 老城=清末に残存した建造物跡に設置したと推定される位置に宮殿祉, 衛門祉等に重点文物標識があるが, 今後の検討が必要である. 蘚子河沿いの外城一帯は耕地化され外城壁の痕跡のみある 内城も耕地化されているが, 内城壁は城壁に植えられた楡の古木共々かなり残存し, 規模が確認できる 城門は南門が新築されている外は門口のみ 皇寺跡に順治15年勅建の満漢碑文あり. 扶余城・ウラ城・ホイファ城=共に平野の中にある丘に設置されていて, 老城などの山城とは性格が相違する その故に城壁は中心部台地を取り巻く部分以外は耕地化に伴い消減し, 碑なども殆ど見あたらない 現在は同じ満族であるが, れきし的性格は相違すると推定される
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