Research Abstract |
まず第1の成果として, 橋本左右神社文書(蒲生郡竜王町)の発見があげられる. 今回, 未紹介・未発表の古文書の調査を研究の一つの柱としたが, これは惣村文書として五指に入る質・量をもつもので, 既知の80余点の他に250点もの中世文書(大半は16世紀)を新たに確認した. 現在までに仮目録を作成し終り, その概要を把握できた. 今後, 解読・校本作りから分析に入らなければならないが, 算用状・納帳・秘計日記類の134点は村落の年貢納入=領主支配の解明に他に類のないものであり, 50点の書状の大半は戦国期の土豪・地侍の動向を示す貴重なものである. この他, 上坂文書, 竹生島宝厳寺文書, 大原観音寺文書, 金剛輪寺文書, 長命寺文書, 八王子法橋伝来文書等々の写真・コピーを入手し, その解読・分析を進めた. これらから, 六角・浅井・京極氏およびその家臣団の文書をリストアップしたが, 特に「御書」「御判」とよばれる六角氏当主の発給文書の収集・分析から, これまで解明されなかった六角氏家臣団の性格が考察できた. また, 京極氏奉行人奉書, 浅井氏奉行人書状の収集は, これまで考察の対象として析出されなかったものであるが, その権力の性格を解明するのに重要な鍵となるものであることが判った. また, 寺社文書の分析から, 戦国期の地方寺社の経済力, 運営と組織のあり方, および城郭・町としての機能, さらに土豪・地侍から百姓・商職人まで含めた奉加・勧進による寺社造営・土地寄進の様相などを明らかにし, 寺社と地域社会の関係を解明することができた. 以上の分析・考察から, この研究の結論として, およそ次の様な見通しを得られた. すなわち, 六角・浅井氏の家臣とは, 新たな領主層として成長して来た者たちであり, 彼らは連合して「地域的一揆体制」を作り, 一方で地方寺社に結集し, 一方で六角・浅井氏を戦国大名として創出した. その背景には村落・百姓との力関係がある, と.
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