Research Abstract |
三河の蘭学塾門人の中, 能登〓の鈴木玄貞について, 同家の史料若干を筆者が責任者をしている研究所に購入, また子孫による著作も入手した. 永良の加藤宗詣については, 同家の日記の未刊部分を見る機会を得た. 赤羽根の葛野経良については, 同家の蘭学関係を含む史料を一見した. 大村益次郎門下の黒沢益吉について, 同人は後藤五郎と称して開成所に関係, その弟孫四郎(後の阿建祐之)も同所に関係があったなど, 今後への手懸りを得た. 刈谷の浅井恭甫については同家の史料の一部を研究所で入手し, 今後の分析が期待される. なお遠州になるが白須賀の跡見玄山について, 当地方の平田派国学徒羽田野敬雄との関係を示す史料を何点か知りえた. 在村蘭方医の前提としての在村医の分布については, 所在を確認していた碧海郡の明治初期の医家の名簿を入手し, その検討を試みつつある. 漢蘭方の割合, 両者の開業年時の比較など, この地域の医家の形成史に資するところが多い. 拙論への批判の素材となった岡山県地域については, 岡山大の古医書調査を行い, 特に美濃の蘭方医田口鳳介の蔵書を一括所蔵しているのを確認した. 岡山への途次, 京大で同所所蔵の浜松の西欧知識導入者名倉予何人関係の史料を実見, その写真版を入手した. 福井市, 小牧市では南蛮流に属する栗崎流の系譜の存在と史料の所在を認めた. 大阪杏雨書屋に愛知県で最初の牛痘種痘を行った柴田方庵の日記のあることを知り, 訪問の上その写真版を入手した. 精査するとその門人が多く判明するので, 東海地区との人的関連を分明にしたい. 医家を含む地方知識人の形成史については, 名号村の旧家八名太郎左衛門家-その母が華岡青洲の乳癌手術を受けている-の史料の悉皆調査を行った. また元禄時代に古義堂門人を出し, 華岡門人も多く出ている大野村の区有文書の調査を行い, 村の知識人や医家についてのいろいろな知見を得ることができた.
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