Research Abstract |
「沖縄近代文学の総合的研究」の課題で, 62, 63, 64年度の三ヶ年にわたって明治・大正・昭和期に発刊された新聞・雑誌資料の収集, 整理を当初計画し申請したが, 62年度一年に限っての研究助成補助しか許可されなかったことにより, 当初の課題を変更, 一年間で成果可能な課題「戦後沖縄文学の出発」に研究目標をしぼった. 沖縄は, 地上戦によって壊滅し, さらに異民族の統治下に置かれるという特殊な状況の現出によって混乱期がかなり長く続くが, その中でいち早く復活したのが出版ジャーナリズムであったことは本土と同じであり, 昭和20年7月には『うるま新報』が刊行されている. 8月15日の終戦を迎えないうちに沖縄はすでに占領下におかれていたことをそれをよく示すものであったが, 同紙に24年頃から「心音」欄が設けられ, また沖縄文芸家協会設立の動き等もあり, にわかに文芸活動が活気を帯びてくる. しかし, 戦後の表現活動は, 「心音」欄が設けられたことによって始まるのではなく, すでに捕虜収容所内で発刊された『沖縄新聞』にみられる短歌・俳句などがあったが, それは主に, 他府県出身の兵士たちの表現になるものであった. 『うるま新報』の発刊によって, その後さまざまな出版ジャーナリズムが勢いをとり戻し始め, その主なものに『うるま春秋』『月刊タイムス』等がみられる. それらの雑誌は, 懸賞作品募集等を積極的に行ない, 戦後の沖縄文学の復活に重要な役割りを果たすものとなっていく. また二誌に掲載された山城正忠の「香扇抄」, 太田良博「黒ダイヤ」等は, 沖縄の戦後文学の出発を告げた重要な作品として取り上げることができる. それらは極めて戦後的特色の濃い作品であるだけでなく, 大家の復活と, 新人の登場という, 時代の推移をまざまざと語るものともなっている. その時期を沖縄戦後文学の第一期出発期としてみることが出来る.
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