Research Abstract |
最重要のマイクロ資料『社会主義農業』紙が版元の事情で購入不能となり, その結果追加請求した複写資料も入手が後れたため, 研究課題全体にわたる検討は完了するに至っていない. これまでは主に「研究の目的」中の第一の課題, つまり全面的農業集団化期の「農戸廃絶」論について, その前史(理念的, 歴史的背景)と本史(盛衰の経過および諸要因)の輪郭を明確にしようと務めてきた. その概要は次の通りである. (1)「農戸廃絶」論の形成に古典的マルクス主義の農業理論が重要な役割を演じたことは疑いない. しかし後者が展望した資本制発展に伴う農民層の消滅傾向は, 革命後のソヴェト農村では逆転しているか, あるいは微々たるものだったことに留意しなければならない. (2)ソ連自身の歴史的経験, とくに戦時共産主義期の農業コムーナ運動を考慮すべきである. そこではソヴェト農場と同様, 個別経営と, 従って農戸とが排除されており, このことが集団農場の一般的イメージを大きく規定した. (3)ネップ期には, 将来の集団農業に占める農戸の地位について, 具体的な研究や論議がなされなかった. 農戸それ自体に関する29年の論争でさえそうである. (4)全面的集団化の開始とともに, 農民経営の経済的自律性を根絶すべく, その法的主体たる農戸の制度的解消を説く「農戸廃絶」論が登場する. この理論は第17回党協議会(32年初)の「階級絶滅」論にも支えられ, 翌33年まで公的に維持される. (5)他方で, 個別経営を容認する農業アルテリ路線の定着, 食料事情悪化に対応するコルホーズ市場の導入や畜産物供出ノルマの設定, 個人家畜の奨励など, 集団農業の枠内で農戸制度の利用を必然, あるいは有利とする諸契機が成長してゆく. (6)35年の農業アルテリ模範定款は農戸制度を公的に復活させた. しかし「農戸廃絶」論は, 同定款に含まれた農戸資産の個別的「利用」規定のなかにその痕跡を留めており, 全面的な払拭は容易ではなかった.
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