Project/Area Number |
63510142
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Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
Educaion
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Research Institution | Oita University |
Principal Investigator |
山岸 治男 大分大学, 教育学部, 助教授 (40136768)
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Project Period (FY) |
1988
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1988)
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Budget Amount *help |
¥500,000 (Direct Cost: ¥500,000)
Fiscal Year 1988: ¥500,000 (Direct Cost: ¥500,000)
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Keywords | 農山漁村 / 勤労青年期教育 / 昼間定時制高等学校 / 旧中間層指導者 / 生徒の家族的条件 / 卒業生の社会的役割 / 高度産業化社会 / 地域形或 |
Research Abstract |
新制高等学校は戦後学制改革の一環として昭和23年に発足した。多くは旧制中等諸学校を母体としたが、母体のない農山漁村にも定時制分校としてそれは設立された。本研究は、この分校の設立・展開・現状を記述しながら高等教育普及にはたした定時制分校の意義と役割を探り、あわせて、近時高等教育の逆機能的側面の発生について検討する素材を提示するものである。大分県を事例研究対象地とし、県内高校全体の展開については既在の教育史資料を参照した。集中調査対象校は県立Y高校、S高校U分校、M高校I分校の三校である。調査結果は次の通りである。 1.創設=教員給与以外の施設・設備等の全費用は分校設置町村の負担。それ故、分校創設には勤労青年教育に私財を投ずる程熱意ある旧中間層指導者が必要であった。生徒の大半は分校が無ければ高校教育を浴せない状態の家庭の出だったが親の意識は全般に高い。教員は、学歴から見る限り、全日制本校との差が無い。 2.展開=昭和30年代後半以後、卒業と同時に第二・三次産業に就職する生徒が急増。分校は勤労青年教育の場から進学・就職のための通過点に変わる。通過点としては全日制本校に比べて条件が悪く敬遠され始める。ただ、高等進学率が急上昇したので一定期間は定員を維持できた。この間、入学生の勉学態度が質的に大きく変化。他方、町村はこの過程で全日制へ。独立校への昇格運動を開始。Y校は41年に独立。規模拡大のできないU校は全日制になったが分校として残留。I校は県の方針で廃校となる。旧中間層の指導力が変化するなか、分校を起源とする高校は長い間将来展望のない、特段に乏しい「代替校」的性格に変容する。 3.現状=地域におこしが関心をよぶ中、近年、分校(を起源とする高校)再興の芽が育ちつつある。住民一般の「地元への自信」と新しい指導層の指針いかんがそれを成長させるか否かの鍵である。
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