Publicly Offered Research
Grant-in-Aid for Transformative Research Areas (A)
本研究は漠北の前2000年紀末に現れる独特の風習であるウマ頭骨の大量埋納の出現背景を明らかにすることを目的としている。中国でも殷代からヒツジなどの家畜の頭骨副葬が散見され、北方の草原地帯の影響とされるが、ヘレクスルの事例はウマに限定されるのに加え、埋葬施設の外の遺構に埋納されるため、直接の対比はできない。しかし、草原地帯中・西部にはより古い頭骨副葬の事例があり、漠北の諸文化とも関係がみられる。そこで、本研究では①頭骨を使った動物供犠の文化的脈絡、②ウマを犠牲にする社会的背景、③埋納を行う墓の構造を検討し、漠北と周辺地域との影響関係、特に中国の殷周社会との競合関係の出現を追究したい。
本研究は、モンゴル青銅器時代のウマ頭骨埋納の出現過程と導入ルートを明らかにしつつ、中国殷代のウマの供儀と比較することが目的である。前年度は、資料収集を集中的に行い、頭骨を使った動物供儀が草原地帯西部のドン・ヴォルガ川流域に起源することを示した。それが東ウラルのシンタシュタ文化で受容され、アンドロノヴォ地平成立に伴って東方に広がるのであるが、その背景にはスポーク車輪をもつ二輪戦車の拡散があったことを明らかにした。二輪戦車は西アジアのメソポタミアで発明されたが、それが草原地帯の東ウラルに導入されたのち、スポーク車輪が発明され、その性能が大幅に上昇した。そのため、爆発的に周辺地域に拡散したのであるが、その際、以前から行われていた頭骨と脚部を副葬する儀礼と結びついたのである。モンゴル高原の漠北への戦車と頭骨埋納導入はアンドロノヴォ地平の併行する前2千年紀前半に入ってきた可能性が高いものの、現時点では確実な資料は発見されていない。岩絵などの絵画資料を比較する必要があるだろう。また、前1200~900年頃の多量のウマ頭骨埋納を伴うヘレクスルの段階には、東モンゴルにはこれまでウマの事例が明らかでなかったが、今研究の発掘調査によってウマ頭骨の副葬を確認することができた。つまり、モンゴル高原の東西にウマ利用が一気に広がっていた可能性が高いことがわかった。問題は中国殷代の車馬坑に入れられた大量のウマ犠牲との関係であるが、こちらは漠北のヘレクスルよりも早くにはじまっている。この時期はモンゴル高原でも南部にあたる長城地帯でいわゆる北方青銅器が出現し、漠北社会にも殷にももたらされている。これによって漠北社会と殷との交流関係が形成されていることから、強勢をほこりはじめた殷に刺激されて、ヘレクスルでのウマ頭骨埋納が出現した可能性が高いと結論付けられた。
令和4年度が最終年度であるため、記入しない。
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馬・車馬・騎馬の考古学 : 東方ユーラシアの馬文化
Volume: 0 Pages: 14-45
Studia Archaeologica
Volume: XL Pages: 50-59
Nomadic heritage studies
Volume: XXII-II Pages: 89-102