Publicly Offered Research
Grant-in-Aid for Transformative Research Areas (A)
中国における国家形成期にあたる新石器時代後期から初期王朝時代では、中国の各地で社会の複雑化が進展していた。しかし、それぞれの地域で統治システムの萌芽がみられたにもかかわらず、最終的には中原を中心とした統治システム:初期王朝へと収斂していく現象が存在する。本研究は、この現象の要因の探求、すなわち「なぜ初期王朝は中原に生まれたのか」ということにある。この問いに対して、本研究は中原における初期王朝成立の根拠となっている威信材の成立と拡散が地域間交流の密接化により文化融合がおこった結果と考える「文化融合モデル」を仮説として提起し、それを中原地域と周辺地域の土器の交流から検証することを目的とする。
本研究では、新石器時代後期から二里頭文化期の文化編年を整理し、そのうえで、本研究のテーマである国家形成と関連する河南省西部の土器編年を行った。それを基に土器動態を分析し、文化圏の中心として二里頭遺跡の意義について検討し、二里頭遺跡における「国家」の性格を明らかにした。新石器時代後期の王湾三期文化では、灰陶を主体とする日常土器と、黒陶・灰陶・紅陶からなる祭儀用の精製土器が共存し、共通の生活様式と祭儀形式をもつ文化圏が成立していた。ただしその内部は日常的な交流圏に分かれており、明確な中心は存在しなかった。これに対し、二里頭文化に入ると、生活様式には大きな変化は見られないが、祭儀用の精製土器に顕著な変化がみられる。器種は爵・か・觚に収斂し、形状にも統一性がある。これらは青銅器や漆器を模倣したものであり、新たな祭儀容器セットとして二里頭遺跡で成立したものと考えられる。このセットは土器として模倣され、「二里頭型精製土器」として二里頭文化圏全体に広がっていった。この土器の広がりは単なる器物の流通ではなく、二里頭遺跡で創出された祭儀そのものの伝播を意味しており、二里頭文化圏においては共通の祭儀形式が広域で共有されたと考えられる。したがって、二里頭文化期の「国家」は、共通の祭儀を共有する文化圏として成立し、その中心が青銅器の製作を独占し、祭儀の道具と形式を創出した二里頭遺跡にあったといえる。このような状況は、王湾三期文化圏における個別の地域性に基づく交流圏とは明確に異なり、文化圏の統一性と中心性が国家形成の特徴として位置づけられる。紀元前2000年紀における中国の国家形成は、祭儀を核とする文化的統合と、それを支える技術的・制度的中心の存在により特徴づけられ、その起点が二里頭遺跡であったと結論づけられる。
令和6年度が最終年度であるため、記入しない。
All 2025 2024 2023
All Journal Article (2 results) (of which Peer Reviewed: 2 results) Presentation (1 results) (of which Int'l Joint Research: 1 results)
成城文藝
Volume: 266・267 Pages: 37-76
Volume: 261 Pages: 75-99