1991 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
01510035
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Research Institution | Ibaraki Univesity |
Principal Investigator |
金子 一夫 茨城大学, 教育学部, 助教授 (70114014)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
青木 茂 跡見学園女子大学, 文学部, 教授 (40159281)
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Keywords | 小山正太郎 / 不同舎 / 西洋画 / 美術教育史 |
Research Abstract |
平成三年度は前年度に引き続き小山正太郎および不同舎門人の資料収集を行った。さらに本年度までに収集した資料の整理分析も行った。 本年度収集した資料で最も重要と思われるのは,不同舎門人である生出亀之進の明治二十三年の日誌である。そこには生出が不同舎に入門した経緯や入門後の学習項目が記されている。それによって不同舎では図案会や題画会が定期的に行われていたことが具体的な日付の裏づけをもって確認できた。その他に本年度は雑誌掲載論文や図版を収集した。 本年度までに収集した資料の整理分析の成果として主なものは,小山正太郎旧蔵の「学校規則」(草稿),「国府台夜遊記」のそれである。 「学校規則」を収集した時点では十一会研究所の学則か不同舎の学則かはっきりしなかったのであるが,「衆議」といった複数指導体制を思わせる言葉や,一週三回生,褒賞,助教といった小山らが工部美術学校で経験した制度が取り入れられているので,十一会研究所の学則草稿の可能性が高いように推定される。 「国府台夜遊記」(明治十二年)の冒頭には小山正太郎の画家観が記されている。柔弱でへつらって生活している従来の画家ではなく,心身強健,国家有用の画家というきわめて武士的な画家の像がそこで提起されている。明治後期には社会から疎外されていることが芸術家としての自立を保証するという孤独な画家像が出現する。それとは対照的な,社会の中で枢要な位置を占める画家の在り方が明治十二年に小山正太郎によって主張されていたことになる。小山のこの文章は近代日本の画家の意識や画家像の発生と変遷を検討する場合,重要な資料になると思われる。小山は翌年の「病床日記」に一節でも同じような考えを表明している。 以上が平成三年度の資料収集と整理分析成果の概要である。
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Research Products
(1 results)