1989 Fiscal Year Annual Research Report
日台間における教育文化交流の史的研究ー台湾総督府の同化教育政策を中心としてー
Project/Area Number |
01510156
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Research Institution | Nara University of Education |
Principal Investigator |
上沼 八郎 奈良教育大学, 教育学部, 教授 (30052616)
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Keywords | 植民地教育の実験場 / 同化主義教育政策 / 台湾教育令の公布 / 朝鮮教育令の公布 / 台湾総督府学務部長伊沢修二 / 台湾総督府学務課長隈本繁吉 / 台湾教育調査会の結成 / 内地延長主義 |
Research Abstract |
近代の日本にとって、最初の植民地教育の実験場であった台湾では、総督府学務部の政策にも、一方的な差別や強制の側面のほかに、近代主義的な開明を含む展望があったと解される。この点で、領台初期の同化教育の基調を検討し直し、第1・第2次「台湾教育令」前後の状況について調べ直すことが大切であろう。 初期の台湾教育政策は、初代学務部長伊沢修二による同化同融政策によって確定された。この方針をうけついだ学務課長持地六三郎は、広く海外植民地の方針に学びながら推進していく。領台15年間のその成果と展望については、明治45年(1912)、辞任に際して公判した『台湾植民政策』(全15章・第11章「教育問題」)によって明らかである。 当時第2の植民地朝鮮では、すでに「朝鮮教育令」(明治44)が公布されていたが、このころ朝鮮総督府学務課長隈本繁吉が台湾総督府学務課長に転じ、大正8年(1919)の第1次「台湾教育令」の策定を担当した。彼は台湾教育調査会を結成、翌年その中間報告『台湾之教育』(未完稿・183枚・ペン書き)を作成している。これは当時の彼の「日記」とともに「台湾教育令」の原案作成の経緯を知る上で重要な基礎資料となっている。 本研究においては、この未公開の隈本文書の分析を通して、主として第1次「台湾教育令」と「朝鮮教育令」の比較検討を進めることとした。特に「日記」と『台湾之教育』の分析を通して、学務担当官史の発想の原点に迫ることが可能かと思われる。 また大正11年(1922)、第2次「台湾教育令」の公布によって、同氏政策は内地延長主義へと歩を進めるが、この転換点における二つの台湾教育令の微妙な差異が注目される。こうしたた背後事情を検討するために、本年度は、前記『台湾之教育』の復元(ワ-プロ化)とその分析に研究の重点をおいた。
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