Research Abstract |
今年度もひきつづき東北地方の都市の調査を行ない,数多くの史料を蒐集することができた。その一部を利用して,城下町久保田(秋田)と港町酒田について研究をまとめた。平成3年度中に発表する予定である。久保田の町人町である外町の町々は,自治的な地線的な共同体の町中で,町人は,すでに前居住地の港町において町中を結成していたと考えられ,町代と年寄衆が主導層として,寄合によって協議し,町政を運営していた。そうした町々が,港町以来の統人祭祀によって惣町の鎮守社である日吉八幡を祭祀していた。酒田町は,港町として形成発展してきた地区(酒田町組)と,東禅寺城の城下町として形成された地区(内町・米屋町両組)から成り,前者においては,町年寄・三十六人衆が自治的な町政運営を行ない,三十六人衆を中心とした当人祭祀(当屋祭祀)によって鎮守社の下山王社を祀り,後者においては,領主が任命した大庄屋が町政を執り,祭祀する鎮守社がなかった。亀ケ崎城(旧東禅寺城)の外郭が廃され,前者と後者の町並もつながり酒田町が成立してくると,前者の町人が外郭内にあった上山王社をも当人祭祀によって祀ったので,上下山王社の合同の祭礼が行なわれるようになった。町奉行は山王社の祭礼を統制下に置いたが,前者の町人は華かな当人祭祀の祭礼として続けた。一方,次第に当人となることが少なくなった三十六人衆は,三十六人衆のみの流泉寺講という寺座(宮座)を営んで,仲間の格式を守り結束を維持していた。 このような二つの都市についての研究成果を,今後,日本海沿岸,内陸部,太平洋沿岸の諸都市と比較しながら,東北地方の近世都市の特質とその地域差について究明したい。
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