Research Abstract |
当初,予定していた今年度の研究計画は,1)共時的に,ドイツ語圏の他の諸都市,ウィ-ン,ベルリン等,ことにその「世紀末」的状況,2)通時的に,16世紀末から17世紀初頭にかけての「プラハ・マニエリズム」の美術および思想(占星術,錬金術)への関連づけをこころみる,というものであったが,1)に関しては,関係文献を収集することはできたものの,それを利用して十分な成果を得るにはいたらなかった。これは,今後の研究の進展に寄与するものと思われる。2)についていえば,新しく得られた知見は,下記のとおりである。 ル-ドルフ二世治下のプラハには,ティコ・ブラ-エやケプラ-が招聘されて,近代天文学の礎が築かれることになったが,それはまた,占星術,錬金術との境界がまだ不分明な時期でもあった。そのなかでも,ペストや梅毒などの悪疫の流行を占星術によって解釈する思想に着目して,ユダヤ人街にまつわるゴ-レム伝説もこの時代に発していることを考えあわせながら,マイリンクの小説『ゴ-レム』(1915)を病気のコ-ドによって解読することをこころみた。この小説にかぎらず,世紀転換期のプラハのドイツ文学において,病気の隠喩は,重要な意味をもっているように思われる。レッピンの「ユダヤ人街の幽霊」(1914),カフカの「変長」(1915)に関しても,「衛生化措置」(当時,遂行されていたプラハ全市の上下水道整備事業,とくにユダヤ人街の取り壊し,再開発を中心にした都市改造)の文脈において,病気の隠喩をもちいて,その構造にあらたな光をあてることができた。その際に,設備備品費で購入していた1904年刊行の「オ-ストリアにおける衛生化措置の進展」と題した文献(古書)が,資料として役だったことを付記しておかなければならない。以上の知見については,論文としては未発表であるが,研究成果報告書において公表する予定である。
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