2002 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
01J08596
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
田里 千代 早稲田大学, 人間科学部, 特別研究員(PD)
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Keywords | 遊び / 文化維持 / 信仰 / フッタライト |
Research Abstract |
本年度は、これまでのフィールドワークで得たフッタライトの「遊び」の概念とその日常的な実践についてのデータを基に、遊びの文化維持機能の機能および構造について考察した。特に、聖書や教義の教えと日常生活における遊びの格差に注目し、いかなる理由において遊びが否定・容認されるのか、また遊びの受容がもたらす文化的機能を中心に考察した。その成果を、以下の論文にまとめ報告した。 1.キリスト教という枠組みから考える遊び 遊びはキリスト教的生活において排除される傾向にあるが、フッタライトを事例として考察した場合、必ずしも遊び行動の全てが否定されているわけではない。フッタライト社会においては、人間の日々の行為には信仰に基づく解釈過程が伴うが(つまりそれが善か悪かという基準)、遊びについても、それが信仰および信仰を基盤とする社会に効果的に機能するのであれば、受け入れられることが分かった。それは、遊びを受け入れることで、彼らを取り巻く周辺社会と柔軟に対応しつつも、遊びの解釈過程を通して、逆説的に信仰心を高める役割も果たしていることを、「遊びとキリスト教:カナダ・フッタライト」で論述した(『文明のクロスロード:MUSEUM KYUSHU』)。 2.信仰と遊び 本来信仰と相容れない遊びが、いかなる理由により日常生活において受容されているかを明らかにした上で、遊びの文化維持機能について考察した。現代でも厳格な聖書的生活を実践しているフッタライト社会においては、遊びは完全に否定・排除されるのではなく、信仰に基づく合理的な解釈により受容される。また、若者期の遊びに関しても、否定する遊びを行なうことが後の成人洗礼という儀礼の際の内省素材となり、信仰の再生産機能へと結びつくために黙認されるのである。 フッタライト社会において、遊びを受け入れることは、厳格かつ規律正しい生活を人々が抑圧的と感じることなく、また受動的に信仰生活を送るのではなく、むしろ人々を積極的かつ能動的に信仰生活に導き入れるために欠くことのことのできない文化要素といえる。こうした研究成果を"To Pray and Not to Play?:The Function of Play on the Continuance of Culture in the Traditional Christian Life" と題する論文にまとめた(International Journal of Sport and Health Science)。
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Research Products
(2 results)
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[Publications] 田里 千代: "遊びとキリスト教:カナダ・フッタライト"文明のクロスロード・MUSEUM KYUSHU. 75号(印刷中). (2003)
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[Publications] Tasato, Chiyo: "To Pray and Not to Play? : The Function of Play on the Continuance of Culture in the Traditional Christian Life"International Journal of Sport and Health Science. Vol.1, No.1(印刷中). (2003)