1991 Fiscal Year Annual Research Report
比較研究によるスコットランドとアイアランドの「経済改良」思想の歴史的意義の究明
Project/Area Number |
02630007
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Research Institution | Kyushu University |
Principal Investigator |
関 源太郎 九州大学, 経済学部, 助教授 (60117140)
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Keywords | スコットランドアイアランド / スコットランドとイングランド / アイアランドとイングランド / 植物地と合邦 / 経済改良 / インダストリィ / 域内自由貿易と域外貿易規制 / 制度と経済主体の形成 |
Research Abstract |
18世紀のスコットランドとアイアランドは、先進国イングランドの強い影響・支配下にあったことは歴史的に知られている。このことは、本研究の対象である「経済改良」示想のなかにも刻印されている。本年度は、イングランドとの「合邦」ないし「協力」関係をテコに自国の経済発展を展望する経済パンフレットを取り上げ、その個別研究による、両国での「経済改良」思想の展開の比較研究を主要なテ-マとした。1603年の「同君連合」以来とくにイングランドとの「合邦」が強く意識されたスコットランドでは、次世紀の初頭には「合邦」をめぐる本格的な論争が繰り広げられることになった。この論争において、一方でスコットランドの旧来からの「国民的特質」とされる「武勇の精神」に固執する陣営が形成されたが、他方では、こうした精神的態度から脱却し新たな「商業精神」の獲遣を目指し、自国における「商業社会」の形成を構想する論陣が顕著となった。後者の代表者としてW.シ-トンを挙げることができるが、かれは「合邦」によりイングランドの制度的・政策的施策をスコットランドにも導入することによって、このことを果たそうとする。その論争の時期にはおおむねかれと指向を同じくしていたサ-・ジョン・クラ-クは、その20余年後に単なるイングランドとの制度や政策の同一化に留まらず、スコットランド国民自らによる養極的な主体形成を提唱するようになる。こうして、1720〜30年代には国内状況に傾斜して生体形成とその基準をどこに求めるかについて論争が主として国内世論向けに鬪わされる。これにたいし、同時期のアイアランドにおいては、依然としてイングランドの植民地であったせいもあってか、「俗説」に言われているようにアイアランドとイングランド(ブリテン)とが「敵対者」ではなく、前者の「繁栄と富」が後者の「繁栄と福祉」に寄与することがイングランド向けに力説される(例えばA.ドップ)。
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