1992 Fiscal Year Annual Research Report
比較研究によるスコットランドとアイアランドの「経済改良」思想の歴史的意義の究明
Project/Area Number |
02630007
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Research Institution | KYUSHU UNIVERSITY |
Principal Investigator |
関 源太郎 九州大学, 経済学部, 助教授 (60117140)
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Keywords | スコットランドとアイアランド / スコットランドとイングランド / アイアランドとイングランド / 経済改良思想 / 合邦と植民地 / 改良の主体形成 / 経済環境 / 経済学の体系的認識 |
Research Abstract |
前年度までの研究で確認されたように、スコットランドとアイアランド両国における「経済改良」思想にもイングランドとの関係が大きな影響力を及ぼした。スコットランドは1707年にイングランドとの「合邦」を達成したが、アイアランドは依然としてイングランドの植民地のままであった。スコットランドでは、「合邦」当時、この「合邦」によってスコットランド国民も、イングランド国民がすでに享受していた先進的な社会・政治・経済的制度や政策のもつ利点を活用できるのならず、この制度的な枠組のなかでより活発化するであろうイングランドとの交流が従来「伝統的社会」の精神態度に強く捕らわれたスコットランド国民に新たな「商業の精神」を身に付けさせることになる、と展望する論者も現われた。しかしながら、「合邦」後の歴史展開は彼らの展望を裏切ることになり、彼らは「経済改良」の展望を再考せざるをえなくなった。すなわち、「合邦体制」が実現した制度的・政策的枠組を活用できる主体の形成を自ら意識的に計らなければならないと痛感することになった。その場合、彼らはこの主体形成の基準を経済「環境」のなかに探る道を進んだことが注目される。こうしてスコットランドでは、「合邦」によって用意されたイングランドの制度や政策の効果をスコットランドの具体的な文脈のなかで改めて検証すると同時に、それらの具体化と新展開とを提唱することになった。この「環境」の研究・調査に徹底するという伝統の罪み重ねのなかで、18世紀の後半になると、アダム・スミスに見られるような「経済学の体系的認識」も生まれるようになったと思われる。他方、アイアランドにおいては、アーサー・ドッブの著作にも窺われるように、アイアランドがイングランドの植民地であったことに規定されて、自国の経済開発がイングランドにも有利に働くことがまず強調された。したがって、アイアランドの「経済改良」思想の展開にあっては、必ずしもアイアランド自身の経済「環境」に徹した思考が形成されにくく、そのためにまた、経済学的認識の深化も後れをとったように思われるのである。
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