1990 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
02650440
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Research Institution | Kagoshima University |
Principal Investigator |
揚村 固 鹿児島大学, 工学部, 助手 (70094117)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
小山田 善次郎 鹿児島大学, 工学部, 講師 (00041533)
土田 充義 鹿児島大学, 工学部, 教授 (60037819)
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Keywords | 麓集落 / 城下町 / 近世都市 / 中世都市 / 都市史 |
Research Abstract |
本研究は、薩摩藩に特有の武家集落「麓」について、その全貌を明らかにするとともにその設計理念を実証的に捉えようと試みるものである。当初計画は、初年度に悉皆調査を完了し、次年度には特に計画性の高いものについて着目し、街路街区の設計寸法について精査しまとめることとしていた。しかし、本年度、皆調査の過程で直ちに精査調査を行なうことが得策と判断する条件が整ったので、代表的な3麓(知覧・入来・志布志)について精査調査を実施した。これに伴い、本初度実施予定の悉皆調査のうち旧日向国(現宮崎県)のいくつかの麓についての調査が完了していないが次年度に実施する予定である。平成2年度の成果については、本報告書の研究発表の項目にものせるほか計8編を日本建築学会において発表した(発表予定を含む)。これまでに得られた知見を以下に列記する。1.鹿児島本城城下の設計寸法が60間(6尺5寸/間)を基本とした事が明らかとなった。これによって外城麓のうち計画性の高いものの設計手法が一つの規範が得られ、重要な指針となった。2.従来、麓の成立は一般に近世初頭とされてきた。しかしながら、これまでの研究成果によると、(1)その成立が単に近世のみの所産ではなく、中世末の戦国期に期限を有するものが多く見られること(2)計画性の高い麓が近世的要請(政治経済的要請)によって整備されたとの認識は、それ自体が間違いではないものの、近世中期あたりに考えられてきた成立時期については中世末から近世初頭のものが認められることから、薩摩藩の近世的状況が一般と異なりかなり早い時期にまで遡るのではないか、との見解得られた。3.計画性の高い麓のうち成立の早いもの(入来)と遅いもの(知覧)、及び中世を成立起源とする志布志について精査することにより上記の知見を裏付ける資料が得られた。
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[Publications] 岩元 俊一: "鹿児島城下下方限の設計寸法について(薩摩藩の麓計画とその遺構に関する研究8)" 日本建築学会大会学術講演梗概集. (中国). 937-938 (1990)
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[Publications] 揚村 固: "麓集落の領内配置とその全体像(薩摩藩の麓計画とその遺構に関する研究9)" 日本建築学会大会学術講演梗概集. (中国). 939-940 (1990)
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[Publications] 岩元 俊一: "知覧麓の構成とその遺構(薩摩藩の麓計画とその遺構に関する研究10)" 日本建築学会九州支部研究報告. 32. 409-412 (1991)
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[Publications] 山下 守: "入来麓の構成とその遺構(薩摩藩の麓計画とその遺構に関する研究11)" 日本建築学会九州支部研究報告. 32. 413-416 (1991)
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[Publications] 揚村 固: "志布志麓の構成とその遺構について(薩摩藩の麓計画とその遺構に関する研究13)" 日本建築学会九州支部研究報告. 32. 421-424 (1991)
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[Publications] 木村 紀博: "志布志麓の武家住宅の遺構(薩摩藩の麓計画とその遺構に関する研究14)" 日本建築学会九州支部研究報告. 32. 425-428 (1991)
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[Publications] 揚村 固 他: "清色城と入来麓武家屋敷群" 財団法人 観光資源保護財団, 270 (1991)