1992 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
03610225
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Research Institution | KYOTO UNIVERSITY |
Principal Investigator |
森 眞理子 京都大学, 留学生センター, 助教授 (30230080)
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Keywords | 来簡 / 成宜園 / 諌山菽村 |
Research Abstract |
当初は前年度の研究実施計画に従い、諌山菽村苑の書簡等を通して1)咸宜園塾頭として残した足跡と、2)医務取締役並びに養育館を設立した福祉事業の面を重点的に研究することを考えてみようとした。 養育館設立・運営に関する資料は、明治初年の地方行政という観点から十分有意義なものと認められるし、咸宜園の教育に携わった菽村の考え方と相通じるものがあることは容易に理解できるところである。しかし、研究本来の課題は、菽村と咸宜園関係者の書簡の往来を通して、私塾咸宜園の終焉期の様子を探ることであると考え、養育館に関しては調査のみに止め研究は改めて別の機会に譲ることとした。 咸宜園塾頭としての諌山菽村(長男半一郎宛も含めて)には、当時東京在住の広瀬貞文との間に多くの書状やはがきのやりとりがある。内容は私的なものが殆どであるが、広瀬家と菽村をはじめとする咸宜園関係者の密な連絡の状況が窺える。その他、塾生であった人々の近況報告や、古くからの友人である千原夕田などの文人との往来書簡など、菽村の教育者としての側面や文人としての交友の広がりなどが明らかになって来た。 また、菽村の漢詩文草稿も、咸宜園の塾頭として見逃すことのできない業績として紹介しなければならない。これは本来書簡とは見なせないので今回の研究では問題にしないつもりであったが、これを翻刻することとした。その作品数は少ないが、漢詩文の採集は、文学的な意味からも咸宜園本来の伝統からも関連があると考えて、今回の研究に付け加えることとした。
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