2004 Fiscal Year Annual Research Report
中世後期・近世初期ケルンにおける都市と教会の諸関係について
Project/Area Number |
03J02007
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Research Institution | Kyoto Prefectural University |
Principal Investigator |
櫻井 美幸 京都府立大学, 文学部, 特別研究員
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Keywords | 西洋中世史 / 西洋近世史 / 宗教改革史 / 都市社会史 |
Research Abstract |
今年度は、何故ケルンにおいてカトリック体制が維持されるに至ったかを解明するために、不活発に終わった宗教改革運動に焦点を当てて研究を進めてきた。 特に1520年代後半から1530年代の期間における、ルター主義を市内に導入しようとする様々な動きに対して、市民が如何に反応し、市政府が如何に対処していったかについて、M Grotenによって編まれた市参事会備忘録を軸にし、他の史料も使用し考案を行った。 その結果、以下のことが確認された。ケルンの教会政策は、聖職者の経済活動に対する規制を中心に展開した。教会の経済活動の隆盛を支えていたのは、アクチーゼの聖職者免税特権である。そのため、1525年にこの特権の廃止が盛り込まれた協約が市政府の主導で結ばれたことは、教会政策の大きな転機となった。この協約締結直後に発生した、農民戦争の影響を受けた市民騒擾はゲマインデたるガッフェル(政治ツンフト)を基盤として、市政府の財政策と寡頭体制に対して起こったが、結局失敗した。失敗の原因は外圧の強化ではなく、ガンフェルから市参事会員を選出するという、一見民主的な政治体制に求められる。他都市で騒擾の主役となった政権参加を渇望する二流の名望家層がケルンでは存在せず、都市の平和が脅かされた際、ガッフェル市民は市参事会と一体化し、都市の安寧を希求したのである。 1530年代に入ると、ケルン市内において宗教改革を求める動きが散発的であるが見られるようになった。市政府は聖職者達と一部協力して、市内の改革勢力を抑圧した。その結果、1540年代には市内の宗教改革運動はほとんど見られなくなったのである。
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