2004 Fiscal Year Annual Research Report
太閤検地の理念と村落構造-検地帳の書誌的分析から-
Project/Area Number |
03J08723
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Research Institution | Mie University |
Principal Investigator |
谷口 央 三重大学, 人文学部, 特別研究員(PD)
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Keywords | 伊勢国 / 太閤検地 / 名請人 / 文禄 |
Research Abstract |
伊勢国太閤検地帳は、名請人を上下二段もしくは左右並列に複数記載するという、二つの記載形式上の特徴が見られる。そこで本年度は、この記載方法が採られた理由を追究すべく、本検地帳登録名請人の実態を検討した。 名請人上下二段記載は、後に紀州藩領となった村の検地帳写帳にのみ見られる特徴である。そこで紀州藩の土地制度を確認すると、同藩は藩政全ての時期において太閤検地帳を基礎台帳として利用していたことが確認できる。また藩独自に検地を実施した折り、基礎台帳との差違を示すため、上段に基礎台帳となる太閤検地帳名請人を記し、下段に実際の検地当時の名請人を記している場合も確認できる。以上から、名請人上下二段記載は、紀州藩が太閤検地を基礎台帳として利用したため採られた記載方法であることを理解した。 これに対し名請人複数並列記載は、検地奉行、地域、本帳か否かに関係なく、ほぼ全ての検地帳に見られる特徴である。そこで、この記載方法が採られた理由を追究すべく、全ての検地帳を分析すると、この方法は、一人で耕作することが困難と考えられる2反以上の広大な耕作地が登録された筆に現れる。このことから、現地の耕作及び土地権利状況に応じた結果、この記載方法が採用されたと考えられる。しかし、このような方法の採用は太閤検地全てを通じても文禄期だけである。このことから全国的状況も考慮する必要がある。すると、この時期は第一次朝鮮出兵の最中であり、さらなる年貢・兵員確保を意図したのか全国的に最も検地実施数が多い時期である。また、人掃令・身分法令など、人員把握が格段に強化された時期でもある。このことも勘案すると、文禄期伊勢国太閤検地は、基本は一筆一人の名請人であるが、現場での耕作状況及び、朝鮮出兵での兵力確保も加味した結果、複数名請人登録が採用されたと推測される。以上2点が本年度の成果である。
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