2005 Fiscal Year Annual Research Report
太閤検地の理念と村落構造-検地帳の書誌的分析から-
Project/Area Number |
03J08723
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Research Institution | Mie University |
Principal Investigator |
谷口 央 三重大学, 人文学部, 特別研究員(PD)
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Keywords | 太閤検地 / 名請人 / 文禄 / 太閤検地論争 / 検地帳 / 一地一作人 |
Research Abstract |
伊勢国文禄期太閤検地は、分付記載と異なり、名請人が並列記載される一地複作人制が採られたことが昨年度までの分析により確認できる。しかしこの特徴は、太閤検地研究では最も原則として考えられる一地一作人制に反する原則である。特に伊勢国検地は、研究史では完成された太閤検地と位置づけられるだけに、この理由及びこの検地で把握された名請人の階層理解は、太閤検地全体を考える上で重要である。そこで本年度は、第一に伊勢国太閤検地を通じての太閤検地原則の見直し作業を行い、第二に、江戸期の検地帳もしくは宗門帳との比較検討に基づく把握された名請人階層を検討した。 伊勢国では、文禄以外に天正15年(1587)の太閤検地帳が遺されるが、ここにも一地並列複数名請人が確認できる。また、現在全国の太閤検地帳の確認作業中であるが、そこでは文禄期和泉国もしくは慶長期越前国・紀伊国の検地帳で同様の例が確認できる。以上より、太閤検地は地域・時期にかかわらず、一地複作人制を採用しており、一耕作地に単元的な権利を与えて把握するという原則はなかった可能性が高いことが確認できる。 続いて、伊勢国一志郡川原木造村を元に文禄期と元禄期検地帳の比較検討を行った。これによると、文禄期に1反を超える大きな面積で把握された耕作地の多くは10〜20人以上の名請人に分割され、また検地帳記載総人数も5倍まで増加している。また、度会郡崎村の検地帳と寛永期の宗門帳の把握人員の比較結果もおおよそ5倍となる大幅な人員の増加が確認できる。これらから、太閤検地時に詳細な人員把握に基づく耕作地の詳細把握が徹底されていなかったことを確認した。 上記2点の分析結果から、太閤検地の主たる目的は、名請人把握ではなく、村単位での把握・村内の年貢高・総面積把握と考えられ、太閤検地原則の見直し作業が必要であることが確認できた。以上が本年度の研究成果である。
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Research Products
(3 results)