Research Abstract |
別子銅山労働者の出身地は筆者の入手し得るいくつかの資料からとくに,1.高知県西部三郡(土佐,吾川,高岡),2.徳島県三好郡,3.愛媛県上浮穴郡のそれぞれ山地,山間の村落であったことが知られた。これらの地域の出身者のうち高知県三郡出身者についてはすでに筆者によって調査が終了しており,その成果は報告されている。本年度の科研費による研究では,徳島県三好郡東祖谷山村,西祖谷山村出身者について四名,愛媛県上浮穴郡美川村など出身者についても三名の元鉱山労働者を対象として,彼らの出身村落の社会経済状態,離村の状況,戦時の体験,鉱山入坑契機,坑内労働,災害,社宅生活,昇進,閉山後の配置転換など,生活史の観点から詳細にその履歴を聴取し文章化し終えることができた。あわせて出身村落の村誌及び地方誌の蒐集に努めた。 この調査では地中の労働を支えた鉱山労働者たちの互いの生と死をつつむ連帯感のほか,彼らの個性的な鉱内労働への関与が明らかにすることができた。また,戦時の生・死の境遇を体験してきた鉱山労働者たちも,すべて入坑時,出坑時に大山祇に一礼する日々であったことは印象的であった。そのほか,女性たちが中心の社宅生活を,女性の立場からまた社宅保安係の立場からも,履歴の綴りと重ね合わせて聴取することができた。 以上の調査を継承して,次年度は鉱山労働者の生活史を一層深化させるとともに,鉱山労働者と連動する四阪島製錬労働者(孤島),銅山管理職経験者,組合指導者たちの生活史についてもそれぞれ描き出すことにして,それらを相互に関係づけるなかに,主題の研究を完成させたいと思っている。
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