1992 Fiscal Year Annual Research Report
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04801045
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Research Institution | Okayama University |
Principal Investigator |
保田 孝一 岡山大学, 文学部, 教授 (60032687)
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Keywords | シーボルトの日露同盟論 / ロシア皇族コンスタンチンと日本 / ロシア提督リハチョフと対馬事件 / 文久遺欧使節の訪露 |
Research Abstract |
1992年夏にモスクワとペテルブルグの史料館で幕末の日露関係史の資料を探索し、1991年には許可されなかった1860-62年の日露関係の文書を閲読することを初めて許された。その中には1861年(文久元年)夏の対馬事件(ロシアの軍鑑が同島にやって来て勝手にロシア海軍の施設をつくり長期滞在したので、幕府が、イギリス海軍を外交的に巧みに利用して追い出したとされている事件)や1862年夏にペテルブルグを訪問した幕府の文久遣欧使節との外交々渉に関する資料があった。前者の文書の中に、幕末に二度にわたって来日し、日本の医学と生物学の発展に大きく貢献した有名なドイツ人シーボルトが、1861年に幕府の顧問として江戸と横浜からロシア東洋鑑隊司令長官リハチョフ宛に書き送った5通の手紙と、帰国後の1863年にドイツ人のビュルツブルグからロシア皇帝アレクサンドル2世の弟で、当時のロシア海軍大臣だったコンスタンチン大公に宛てた露日友好外交を提案する手紙を発見し、そのコピーを入手することに成功した。これらの手紙はシーボルトとロシア側要人との親密な関係を立証する重要資料であることはすぐ分かったが、ドイツ語の手書きの三十数枚の手紙をロシア学者の私が解読するのは容易ではなく、予想以上に時間がかかった。その結果何が分かったか: シーボルトはロシア皇弟コンスタンチンの信頼の厚い親露的学者であり、同時に誰よりも日本を愛した親日的学者として、日本の平和と独立、日露友好のために尽力していた。 その他に私のもう一つの研究テーマ『ロシアの農村共同体と市民社会』(ロシアではなぜ資本主義が発達せず、革命が起こり社会主義になったのか。それ故エリツィンのロシアの民主的改革は容易ではない)を一冊の本として発表できる。
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[Publications] 保田 孝一: "ニコライ2世と明治の日本" ロシア史研究会編『日露交渉二百年を考える』彩流社. 13 (1993)
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[Publications] 保田 孝一: "ロシアの共同体と市民社会" 岡山大学文学部, 220 (1993)