2004 Fiscal Year Annual Research Report
思想としてのサディズム・マゾヒズムとその現代的展開
Project/Area Number |
04J01075
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
平田 知久 京都大学, 大学院・人間・環境学研究科, 特別研究員(DC1)
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Keywords | サディズム・マゾヒズム |
Research Abstract |
本年度は「サディズム」という言葉の起源とされる、D・A・F・サドの著作の「異常性」が、近代という現象の中でいかなる形態をとり、また同時に隠蔽されるのかを考察した。その際、一方では思想史として順を追いながら、サディズムの系譜を観察すべく、I・カントの「教育学」にその端緒を見出すかたちで議論を行った。それは、日本教育社会学会第56回大会での「サドの説得とカントの教育学--両者の「人間」像の比較から--」という報告と、大阪教育大学公民学会紀要公民論集における「カントと"共にある"ということ、サドと"共に"あるということ」という論文に結実された。 他方で、サドと現代思想の関連を考察すべく、M・フーコーの思索におけるサドの扱いに着目した。フーコーはその初期の歴史学・考古学的考察において、近代への転換点としてのサドを持ち上げるが、権力論が考察の中心課題になる中期に至って、主要な著作にサドの名が現われなくなる。特にここでは、彼の2つの権力論のちょうど結節点である1975-6年に行われた「サド、性の法務官」という対談と、そこで提示された「反有機化された身体」とその「喜悦」と呼ばれるものの本態を見ることで、フーコーが権力に絡め取られる人間の何を問題にしようとし、そこにサドがどのようなかたちで関係しているのか、そして、それらは彼が晩年に辿ろうとした「性の歴史」という系譜にどのように関わるのかを考察した。このような問題系の端緒を、日本社会学会第77回大会での「「サドと社会性」という問題系--サドの説得を巡って--」という報告で開いた。さらに、このテーマについては、G・ドゥルーズ&F・ガタリが語る「器官なき身体」との比較という課題もあり、これらのことを主題とした論文を完成させた。
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