1994 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
05610140
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Research Institution | Kobe University |
Principal Investigator |
北原 淳 神戸大学, 文学部, 教授 (30107916)
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Keywords | 沖縄 / 国頭村 / 家(ヤ-) / 門中 / 村落 / 過疎 / 共有林 / 村落共同体 |
Research Abstract |
国頭村字嘉部落を対象にして全戸調査を行い、沖縄本島北部の家(ヤ-)、門中、村落の構造的特徴についてさらに立ち入った検討を加えた。 字嘉は戸数、人口が急減し、老齢人口が多い過疎村である。その理由は、通勤圏である名護市の労働市場が限定的であり、南部の那覇の周辺農村と異なり、若年層の通勤による兼業農家が少ないことである。若年層を引きとめるヤ-の継承の規範も緩んでいる。ヤ-の継承は、位牌の継承が中心であり、財産が少なく同居しても生活できないのも一因である。耕地が少なく、焼畑耕作を行い、林業、漁業にも依存してきた字嘉は、60年前後のエネルギー革命以降、山林の農地開発によって林業から農業への転換をはかったが、それは若年労働力の流出と重なり、労働力の確保ができないまま、「新興産業」として定着しなかった。 門内組織はあるが、その墓は村墓の形態であり、門中墓はまだ成立していない。ヤ-の継承は位牌、財産の継承に集約されるが、土地がきわめて少ないので、位牌の継承がもっとも重要であり、儀礼の継承に限定される傾向がある。このことも若年層の流出を促している。家督権の継承は死亡時ないしはその直前が多く、生前継承ではないため隠居制度もなく、世帯主の年齢は過疎化以前からもともと高かったとみられる。 村の共有林は明治の土地整理事業のとき民有地に編入され、焼畑となって村の生活を支えたが、近世には、この共有林の管理は、猪垣の修復を含めて王府の厳格な統制下に置かれており、村の自治的性格は弱かった。また村の漁区は存在しなかった。共有財産の点からみると、「村落共同体」は古来の伝統というより政治支配に強化されたといえる。
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