1993 Fiscal Year Annual Research Report
戦後改革期における「学校五日制」実施の経緯とその帰結
Project/Area Number |
05610235
|
Research Institution | National Institute for Educational Policy Research |
Principal Investigator |
渡部 宗助 国立教育研究所, 教育政策研究部, 室長 (40034665)
|
Keywords | 学校五日制 / 地方軍政部 / 阿部彰 / R、C、Fox / 学習指導要領一般篇(試乗) / 五日制実施状況調査報告 |
Research Abstract |
1.戦後改革期の「五日制」については、今回の「学校五日制」実施に際には省みられることが少なかった。それは社会情勢の違いによるものと思われるが、学校教育論としては戦後期のそれと共通するものであった。それは学校教育を、地域社会の教育と家庭の教育との関連の中で相対比する視点を明確に提起したことにある。 2.戦後期の「五日制」は、GHQ・SCAP(連合国軍最高司令部)/CIEと文部省の政策として進められたものではなく、GHQ・USAFPAC(米国太平洋陸軍)下の改革実施を監視する地方軍政部(Military Gavernment)の勧奨によって進められたものであった。「五日制」実施が地方によって異なる容態を呈したのはそのためであった(阿部彰『戦後地方教育制度成立過程の研究』)。 3.1949年(昭和24)10月の文部省調査によれば、小・中・高を通して全県的に「五日制」を実施していたのは、秋田、山形、福島、千葉、長野、滋賀、熊本の7県、中・高での実施が神奈川県、高校だけの実施が青森など9県で、全く実施しなかった道府県が14道府県であった。公立高校に関しては全高校の43%で「五日制」がおこなわれた。「五日制」を押しつけとしてではなく、新教育の理念として真剣に受け止めて実施した県もあったことは、教育論史的にみて意義のあることであった。 4.しかし、各種の実態調査や世論調査では、賛否相半ばの状況で特に父母達には余り賛成されなかった。一般的傾向としては、都市部より農村部で、小学校よりも中・高校での実施に賛成者が多かった。生徒が家事労働力として期待されていたからである。教師にとっては、負担が重くなったという結果もあり、1951年度から廃止する動きが現れ、1953年(昭和28)3月の長野県を最後に全く廃止されるに至った。
|