Research Abstract |
戦後50年間の日本の疾病構造および死亡原因の順位の内容は,急速に変化してきた。死亡因は,長年にわたって脳血管障害によるものであったが,現在は癌が第1位となっている。結核もまた,死亡因として順位ははるかに下位のものとなり定着している。 以上の傾向は,医療不在の期間が昭和40年代初めまで続いた新潟県東蒲原郡においても同じであり,それはまた,人々の治療行動の変化にも示されている。東蒲原郡の現在の医療状況は,津川町の県立病院が地域医療の中心であり,多くの地方小規模町村と同じように,老人医療および末期医療を担っている。当郡の人々の治療行動は,道路の整備,除雪,自家用車の普及に伴って,医療機関依存の傾向を強め,さらには症状の種類や程度によって医療機関を選択する傾向も強まっている。その結果,専門化された診療料を多く備えた総合病院に初期の診断と治療を委ね,老齢者と末期の医療は住居の近くの医療機関を利用する傾向は,7年前よりも一層はっきりしてきている。 一村落をモデルとして取り上げ調査した結果では,人々の健康への関心,早期治療の必要性への関心は,一層高くなっていることがはっきりしている。なお,身体観や死生観などもっとも生存において基本的な観念には,なお伝統的なものが強く残り,そのことが,末期医療の必要性を強く主張する意見として示されている。すなわち,生存の内容への評価は末期の症状のあり方に集約されると今なお考えられており,老人は家族に囲まれて自宅で死亡することさらには苦痛を長びかせないことを強く望んで,自ら死期を調整するかのように拒食行動を必ず見せる。より充実した家庭訪問医療や,症状の悪化時のみの入院が柔軟に行われる必要性は,都市におけると同様に,極めて高くなっている。
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