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1993 Fiscal Year Annual Research Report

幕末期の侍屋敷平面にみられる2つの構成原理間の移行過程に関する調査研究

Research Project

Project/Area Number 05650606
Research InstitutionShowa Women's University

Principal Investigator

平井 聖  昭和女子大学, 家政学部, 教授 (50016325)

Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) 稲岡 英子  昭和女子大学, 家政学部, 助手 (00213108)
Keywords江戸時代末期 / 侍屋敷 / 平面構成 / 座敷 / 南面
Research Abstract

座敷を南面させるのが封建時代の武家住宅の特色であると言われてきた従来の常識に対して提案した幕末期の侍屋敷には道路に面する表側に座敷を配する形式と座敷を南面させる形式の2つの構成原理があり、この2つの構成原理間には前者から後者への移行が幕末期に生じているはずであるとの仮説を検証し,移行過程を明らかにすることを目的に、平成5年度には弘前・盛岡・松坂を対象に藩政期の史料の調査或は現存する遺構の調査を行なった。
弘前については、藩政期(1750年頃)の史料の調査及び現存する遺構の調査を行ない、藩政期の史料ではそのほとんどが道路に面する表側に座敷を配する平面形式であるだけでなく調査できた藩政期の侍屋敷遺構についてもすべて道路に面する表側に座敷を配する平面形式であり、座敷を南面させる形式は明治30年代に建てられたと判断される遺構ではじめて見出された。
盛岡については、現存する遺構が少ないため、藩政期(1772-1806)の史料の調査を主として行ない、座敷を南面させる形式が約62%(その内道路に面する場合を除くと約25%)存在することが明らかになった。弘前と盛岡の違いが年代によるものなのか、特有なものなのかは今の所不明である。
松坂については、藩政期の適切な史料がないので、現存遺構に関する調査を行なった。松坂では藩政期の遺構のほとんどが道路に面する表側に座敷を配する形式で、その後現代に及ぶ住宅も藩政期の遺構を多く残す地域では、その多くが現在なお道路に面する側を表とする平面構成であることが明らかになった。
以上から平成6年度には幕末期にすでに座敷を南面させる形式が多く認められる地域を含めて調査することが必要と考えられる。

URL: 

Published: 1995-03-23   Modified: 2016-04-21  

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