1994 Fiscal Year Annual Research Report
幕末期の侍屋敷平面にみられる2つの構成原理間の移行過程に関する研究
Project/Area Number |
05650606
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Research Institution | SHOWA WOMEN'S UNIVERSITY |
Principal Investigator |
平井 聖 昭和女子大学, 生活科学部, 教授 (50016325)
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Keywords | 江戸時代後期 / 侍屋敷 / 明治期 / 都市住宅 / 平面構成 / 座敷 / 南面 |
Research Abstract |
幕末期の侍屋敷平面には、1、道路に面する座敷を基本とする、平面の構成原理と、2、南面する座敷を基本とする、平面の構成原理の2つの構成原理が存在し、これら2つの構成原理間には、江戸時代の後期から明治にかけての1から2への移行が仮定される。この研究はこの移行過程に関する研究で、城下町として江戸時代に成立し現在に及んでいる弘前・盛岡・松阪・萩・高鍋・小幡において、史料調査あるいは遺構調査をおこなって、移行の時期的な経過を確かめ、その経過を示す遺構をみつけだすことを目的としている。 研究の結果として、最も古い史料である弘前の宝暦9年(1759)の侍屋敷全体の書き上げでは、1の構成原理を示す平面が89.6%、2の構成原理を示すも平面が23.4%(南面する敷地を除くと4.7%)であるのに対して、文化3年(1806)の盛岡の中・下級の侍にあたる諸士の屋敷では、1の構成原理を示す平面が64.9%、2が36.8%(同様に南面する敷地を除くと23.2%)になり、弘前の場合にくらべて1が減り2が増えている。この時代が下ると共に1が減り2が増える傾向は、藩による違いもあるが、全般的にみれば一般的傾向と認められる。 遺構調査から移行の時期をみると、それぞれの町で特徴がみられるものの、明治以降になると2の構成原理が主となる。一方、弘前では2の構成原理によることが明らかな遺構で、建築年代の最も古いものが明治30年代に建てられた例しかみつからなかったのに対して、萩では1800年以降の幕末期に建てられた複数の遺構に2の構成原理が認められると共に、1から2への改造を示す遺構もみいだされ、高鍋では1から2への移行過程を示す中間の形式が存在したことが明らかになった。
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