1994 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
05680105
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Research Institution | Tokyo Women's College of Physical Education |
Principal Investigator |
掛水 通子 東京女子体育大学, 体育学部, 教授 (20096663)
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Keywords | 女子体育 / 女子体育教師 / 女子体育は女子の手で / 戦前 / ダンス / 思い出 / 女子体育教育 |
Research Abstract |
戦前の女子体育教師の八、九割の者が担当授業の半分以上ダンスを担当し、女子の体育指導は全て女子指導者があたるべきと考えているのは15%のみで、過半数の者は女性らしいダンス等は女子があたるべきと考えている。戦前の勤務校一校当たりの体育教師数は二人、その内女子一人が最も多く、この教師数が、女教師はダンス、男子教師は競技等を担当する形を作り、女教師はそれが良いと感じていたのである。こうしたことが、明治20年代末以降理想とされていた「女子体育は女子の手で」ではなく、「ダンスは女子の手で」を定着させてしまった。生理時にはほぼ七割の者が休ませたり、見学させたりしている。 生き生きとしている生徒を見た時、目標を達成できた時、生徒、卒業生との触れ合いなどに嬉しさを感じ、予想に反して、つらかったことは全くないとの答が二割程度あった。つらかったことは、出産後や妊娠時の体育指導、授業以外の勤務の長さなどであった。三割程度は苦労したことはなかったと答えている。 世間の人々は女子体育教師を高く評価していたと思う者と、低く評価していたと思う者がそれぞれ三分の一づつあった。自分自身では女子体育教師を八割程度が様々な表現で高く評価しており、低い評価は15%程度のみである。世間では低いと思っていると書いた者のうち七割は、自分自身では高く評価している。 女子であること、体育教師であることから多くの困難さを抱えていると思われる戦前の女子体育教師自身は、あまり、そう感じることなく教育に専念していたことが明かとなった。主としてダンス(行進遊戯、唱歌遊戯)を担当し、女子体育教師に誇りを持ち、授業や生徒との触れ合いの中に、嬉しいことも多くあったことが、途中で他の教科に移ることなしに、長期にわたり女子体育教師をやり遂げさせたと思われる。
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