Research Abstract |
17世紀中国は,その間に王朝交替が挿入されたことで,明末清初期とも通称される。しかも,それが異民族による征服として現れたために,この激動の時期に生み出された様々な知的営為にはそれゆえの屈折が刻まれることになった。それらは,これまで,前代の思想的傾向の発展または逆転として位置づけられ,さらに,後代におけるそれらの発展または挫折が論じられてきた。つまり,従来の研究においては,前代から後代への思想史な展開をそれらが媒介しえたかどうか,という一点だけが特権化されていたわけで,前後の思想史的な流れを整合的に解釈するための一挿話として以上の取扱をそれらは受けてこなかった。そうした問題設定を一度反転させて,この特別な時代の知のあり方にそれとして焦点をあてることにより,それに前後する時代における知のあり方をそこから逆に反照してみることが,本研究ではめざされていた。しかも,本研究は,明中期から清中期にわたるおよそ三百年の間の(後期中華帝国の最盛期で,しかも,帝国主義の衝撃をいまだ受けることなく,他方,イエズス会宣教師らのもたらした西方の新知識の洗礼を受けつつあった時期における)思想史を新たに構想するための基礎作業として位置づけられるもので,近年進展の著しい欧米の明清史関係の研究を摂取することに特に配慮して進められた。その作業を通じて,この時期を代表する思想家である王夫之の「命」解釈の試みが,朱熹以来定式化されてきた「命」の性格づけ,すなわち,個々の人間をその個別性と普遍性の双方において決定づける「命」の一回性(誕生時における)というそれをいかに根本的に読みかえて,「命」の本質を反復性(個々の人間の性を通じての)に求めるものであったか,ということが明らかにされた。あわせて,中国思想に対するまったく独自な研究で知られる西順蔵氏の近世儒教論を,研究史的にどのように位置づけるべきか,が考察された。
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