1993 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
05710026
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
藤田 隆則 京都大学, 人文科学研究所, 助手 (20209050)
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Keywords | 能 / 音楽 / 芸能 / 歌 / 演出史 / 合唱 / ワキ役 / 音楽劇 |
Research Abstract |
課題名に記したような問いに対して、的確な答えを求めるということを大きな目標にして、ワキの芸態を記した記録類(とくに形付)の複製を蒐集した。そして、重要と考えられるものに関しては、それを翻刻し、ワープロに入れた。当然予想されたことであるが、ワキがなぜ多人数合唱(地謡)を一緒に歌わなくなったかの理由を、直接に語っている文言は、江戸初期の資料にはまったく見られなかった(もちろん、江戸中期頃に書かれた歴史的記述においてはニ三、そのことに触れるものがあったが)。だが、資料の渉猟によって、その理由についてある程度は推測できるようになった。 能のそれぞれのレパートリーが、室町期に繰り返し上演されてゆくにつれて、主役であるシテは、文言を歌う歌い手としての側面よりも、役柄としての側面を次第に強めていったのである。ワキはどうやら、そのようなシテを模倣して追いかけるかたちで、歌い手の側面を極力少なくして、役柄としての側面を大きくしていったと思われるのだ。つまり、多人数合唱(地謡)箇所を歌わなくなる大きな理由の一つは、ワキが舞台における主役の領域に参入するというきっかけによると言える(このことについては11の欄に記した論文「能の多人数合唱(同音)特質」の中に詳しく論じておいた)。また、このようなワキの変化の背景には、多人数合唱(地謡)を担当する役者(地謡衆)の人数が次第に大きくなるという変化が存在する。これもワキの役柄面が強調されるようになった、大きな要因であると考えられる(このことについては11の欄に記した論文「居座の歌い手は上演に必要不可欠な一役だったか?」の中で論じた)。 なお蒐集できた資料を使って今後、江戸期を通じてワキがどのような過程で地謡から撤退していったかという事実的な変化を論じる論文を執筆する予定である。
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Research Products
(2 results)