1994 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
06610055
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Research Institution | National Research Institute for Cultural Properties, Tokyo |
Principal Investigator |
中野 照男 東京国立文化財研究所, 美術部・第一研究室, 室長 (20124191)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
勝木 言一郎 東京国立文化財研究所, 情報資料部・文献資料研究室, 研究員 (50249918)
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Keywords | クチャ / 様式 / キジル石窟 / クムトラ石窟 / 敦煌 / 図像 / 形式 |
Research Abstract |
クチャ地方において、独自の絵画様式が失われ、中国絵画の様式が現れるのは、石窟造営の荷担者や画師が変わったからだとされてきた。本研究では、クチャ地方における絵画様式変化の実態を解明するために、次の調査、研究を行った。(1)諸種の石窟関連の図書・文献より、7世紀半ばから9世紀末までの、供養者を中心とした銘記・題記類を採集し、整理を行った。(2)キジル石窟、クムトラ石窟を中心に、新彊ウイグル自治区や甘粛省の諸石窟の形態、壁画の配置、主題、年記、銘記などに関するデータの集成に努めた。(3)クチャ地方、敦煌周辺、および中原地方の石窟の説法図、浄土図などを分析し、その図像構成、様式の異同について検討した。 これら資料の収集と検討、クチャや敦煌周辺、中原の絵画の比較研究の結果、次のことが判明した。(1)クチャ地方における中国的な様式とは、画題面でも様式面でも、典型的な初唐様式の絵画にほかならず、とりわけ敦煌の初唐期の絵画(例えば、第217窟など)と関連が深い。クチャ地域においてこの様式が確立するのは、おそらく7世紀後半から8世紀前半にかけてである。(2)クチャ地域の中国様式の絵画と、それ以前に見られたこの地域独自の様式の絵画との間では、荷担者および画師等の交代を認めざるを得ない。(3)しかし、両方の様式が混交した過渡期の絵画が存在する。例えば、クムトラ石窟第43窟の仏説法図のように、古い様式、形態で造営された石窟の壁画のなかに、部分的に中国様式の影響が忍び込んだ例、クムトラ石窟第45窟の弥勒説法図のように、画題や画面の構成は古い時代のそれを踏襲しているが、表現技法は明らかに中国的に変わっている例などがある。過渡期の実態を解明するには、石窟壁画の図像構成や石窟形式の比較検討、および荷担者の民族的種別の識別が有効であった。
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Research Products
(2 results)