1995 Fiscal Year Annual Research Report
九州北西部離島における修験道-平戸諸島の修験寺院の歴史民俗学的研究
Project/Area Number |
06610287
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Research Institution | NAGASAKI UNIVERSITY |
Principal Investigator |
福島 邦夫 長崎大学, 教養部, 教授 (60189933)
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Keywords | 安満岳 / 志々伎山 / キリシタン / 海民 / 家ばらい(講経) / 神楽師 / ホウニン |
Research Abstract |
本研究の目的は平戸諸島における修験道に関係する歴史や民俗を明らかにすることである。平戸島には北部に安満岳、南部に志々伎山という二つの霊山がある。その両山を中心に史料、金石文、伝承、行事など中心に信仰の歴史・民俗を明らかにしようとした。十六世紀中葉にこの地方には、キリシタンの信仰が入り、それまでの仏教信仰を一掃してしまった。その後、藩主松浦氏の上から強制によって、再び仏教が導入されたという経緯がある。そのため、それ以前の姿は分かりにくいものとなっている。安満岳はその良い例で、弟子として上げられているのは、ほとんど近在の武士豪族であり、松浦家との関係も深かった。一方、縁起には泰澄の養老二年の開山を伝え、白山妙理権現をまつり、行基の来山などを伝えるが、禅宗との関係も説くなど複雑である。また、安満岳西禅寺が別当であるが、末寺は真言宗中院流といい、修験寺院ではない。末寺の一つである廣前院は七郎権現(本地毘沙門天)をまつる。一方、志々伎山には上宮、中宮、地の宮、沖の宮があり、十城別皇子(本地白山権現)、七郎権現(本地毘沙門天)、神島権現(本地不動明王)などをまつる。別当寺の円満寺の法印を中心に山麓の野子村民は脇間と百姓という階級に分けられ、脇間は寺の諸役を担当した。隣村の宮の浦では現在も十一月に祭礼をおこなっているが、神主は関わらず、村民の中から社役がでて、もとは神楽も舞っていた。ヤマド祭という山宮の祭り、沖の宮での宮巡り、古代相撲など中世の海民の信仰を残していると思われる。また、平戸の対岸、田平には海寺という修験寺院があり、十一面観音(沙喝羅竜王第四姫宮)、阿弥陀、不動明王などをまつり、松浦地方の一つの中心でもあり、松浦家との関係も深かった。しかし、平戸島内修験との関係は不明である。島内の里修験の淵源はさらに時代を下り江戸中期以降のものと思われ、今も新春の家ばらい(講経)、地鎮祭などを行っている。
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