1994 Fiscal Year Annual Research Report
鎌倉・南北朝期の王朝と幕府の徳政-社寺との関係を中心に-
Project/Area Number |
06610306
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Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
稲葉 伸道 名古屋大学, 文学部, 助教授 (70135276)
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Keywords | 寺社政策 / 権門寺院 / 王朝 / 鎌倉幕府 / 人事権 / 紛争処理 / 関東僧 / 権門体制国家論 |
Research Abstract |
本年度は鎌倉時代における幕府と王朝の寺社政策を検討し、名古屋大学文学部の講義において現時点での到達点を学生・院生に提示した。とくに検討した点は、幕府や王朝が「権門寺院」にたいして人事・紛争処理にあたってどのような政策あるいは対応を示したかという点である。まず、人事について。王朝が人事権を掌握している構造は変わらないものの、幕府が延暦寺・園城寺・東寺・醍醐寺・東大寺の座主・長者などにたいして「関東僧」(鎌倉幕府が人事権を持つ鎌倉市中寺院の僧)の推挙を行い、ときには関東僧でなくても王朝にたいして推挙を行うこと、さらに将軍や北条氏の血縁者が多く推挙されたことを、具体的に明らかにすることができた。また、興福寺にたいしては幕府は全くその人事に関与できないことが明らかとなった。第二に、権門寺院間の争いや権門寺院内部の争いにたいする王朝と幕府の対応について。興福寺と石清水の争いについて、黒田俊雄氏の検討した嘉禎の相論だけでなく弘安の相論も検討することによって、幕府は嘉禎の相論の途中から単に権門体制国家の軍事警察部門を担当する一権門としての役割を越えて、国家権力として王朝に替わって紛争処理を行ったこと、その際、六波羅が幕府の意向を請けて裁判として処理しようとし、さらに関東使が直接紛争処理にあたったことを明らかにした。その画期は弘安頃と推定される。また、興福寺における大乗院と一乗院の争いにたいする幕府と王朝の対応を検討することによって、上記の幕府の対応、および、後醍醐親政期における王朝の独自の処理が見られることが明らかとなった。こうした点から、権門体制国家論はもはやそのままでは成り立ち得ないことは明らかであるが、以上の検討をさらに他の事例において確認する作業を行った上で、自分自身の国家論を提示したいと考えている。
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