1995 Fiscal Year Annual Research Report
桂園派の発生・発展と幕末・明治期桂園派和歌・歌論の文学史的意義について
Project/Area Number |
06610414
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Research Institution | Shigakukan University |
Principal Investigator |
清水 勝 鹿児島女子大学, 文学部・国文学科, 教授 (50248647)
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Keywords | 小沢芦庵 / ただこと歌 / 香川景樹 / しらべの歌 / 八田知紀 / 高崎正風 |
Research Abstract |
景樹の所説の調べや誠の説は、小沢芦庵のたゞことの説によって文芸環境がやっと熟してきたところに芦庵の継承として流行する素地があったといえる。芦庵が自説を公式に刊本で主張するまでは写本の改稿を重ねている。(以上、鹿児島女子大学『研究紀要』第17巻1号・17巻2号所収論文)。桂園派の流行は、芦庵の苦悩と努力の流れのうちに爆発的な発展をみたが、勿論景樹の才能もあって純文芸としての和歌(国学派などと対比して)でありながら、文運の隆盛時にあって明治期まで勢力を保つのである。景樹の多くの門人中、双璧として知紀と直好があるが、知紀の方が、明治桂園派の中枢となった正風とその門下を育てたことで、その理由を追究することは和歌文学史の上で大きな意味があると思われる。芦庵・景樹の門流は堂上の流又は亜流の如く旧弊に泥むことはなく、自由な詠風を求めたが、景樹や直好の紀行文を見るに、やはり歌枕の伝統から抜け出ていないと思われる。知紀は武士としての勤務のかたわら、流されればそこに於いて諷詠を楽しみ、弟子を得、伝説の地を歩いては、歌枕によらず和歌紀行文をものしている(藤川紀行・笠沙紀行)。歌人として斬新な実験を誠に自然に行なっている。その弟子の指導に於いても大変自由で特徴に満ちている。武士としての行動や日常は、正義感あって、かつ自由又理性的・合理的であるが、一方平田篤胤をうならせるような神道書(幽郷神語)なども著わしている。敬神の思想が如何にして当時流行の折衷派漢学の理性万能主義と結びついて又自由な行動が出来たのか大変興味の持てるところである。ここが、明治の大歌人正風を育てた理由にもなるであろうが、桂園派が明治中期を過ぎて衰退する理由にもなっていくのではないだろうか。芦庵・景樹や桂園を攻撃した子規は専門歌人であって、知紀や正風はいわば官吏であり、また大人であった。このあたりが、かえって凋落の原因となったのではないか。もって本年度の研究に繋ぐこととしたい。
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