Research Abstract |
地場産業は,地場の資源,労働,資本,技術を活用し,地場の市場を自らの基礎市場として発展してきたものが少なくない.一般的に,中小零細企業の集団からなる地場産業は,地域資源を企業化すると同時に自ら企業の内に培った企業資源を地域化し,それを地場産業の高度化,製品の転換,新たな地場産業の母体としてその地域的基盤をも築いてきた. 上述した構造と基盤を有した地場産業は,それだけにその展開する地域の風土と文化と深く関連して,変質してきた.外来の技術やそれが地域化された技術の伝播を受けた地場産業は,自律的な技術革新の機構を築くことによって国際的競争に打ち勝って残存してきている.この技術革新の機構は,三州の製瓦業において論究したように,製瓦業を囲繞してきたトヨタ自動車を頂点とした地場の機械金属工業を培った風土と文化に強く影響されて構築されてきている.こうした地場産業間の風土・文化を媒体とした相互関連は,原材料や製品の市場が国際化した地場産業の国際化を究明してゆく上では,これまで十分論究されてこなかった重要な論点といえよう. 地場産業のなかでも,製瓦業と同様に,日用消費財工業として,古くから地域住民の生活と深くかかわりあい,地場の風土・文化に根差してきたのが陶磁器業である.有田・伊万里において地域化された朝鮮の磁器技術は,豊富な原料土を有した瀬戸において一般化した.大規模産地の瀬戸は,その内に伝統的陶器産地を要するだけでなく,和食器,洋飲食器,台所用品,硝子,理化学用品,ノベリティ,ファインセラミックスとその製品を多様化させ,その一部を美濃に展開させることで残存し,その生産の機械化・高度化を進めることで,生産の国際化に伴う国際生産工程分業,国際製品分業に対応してきている. こうした大規模瀬戸産地の国際化に伴う変容は,大都市名古屋の都市圏の拡大に伴うその風土文化の革新とも深くかかわっている.これは三州製瓦業と深くかかわった常滑焼産地だけでなく,臨海工業の発達した国際貿易港を擁する万古焼産地でも同様である.万古焼き産地でも大都市名古屋の大企業と同様に,その輸出市場における風土文化の培ったデザイン開発能力を活用することで存続し,産地の中核企業をなしているものもみられる. 製造機械の開発や生産・環境管理技術の開発にも増して,このデザイン開発能力や新技術の開発能力も,国際会の過程において地場産業が存続してゆく上では重要な機能をなしている.九州北部と名古屋大都市圏の二大産地の間に発生した都の京都と鄙の砥部の二産地は,それぞれ異なった風土文化を背景として異なった産地の革新機構を導き,国際化に対応してきている. 都として京都では,時代を異にして累積してきた伝統工芸の基層が,その媒体としての風土文化と同じく,技術革新の需要な基盤をなしてきた.これに対して二大産地に加えた古都京都と首都東京の技術を導入した鄙の砥部では,中核企業や中核的陶工だけでなく,自主的陶工の研鑚組織としての陶友会・陶和会が同じ中間的組織としての組合や学校・試験場が,その民芸基地化に大きな役割を果してきた.こうした風土文化を媒体とした地場産業の中間的組織の機能も,地場産業の国際化と風土文化の革新の関連を論究してゆく上では重要な留意点である.そして,この風土文化の革新機構を究明するに際しては,地場産業の規模と構造に加えて,その産地を内包する都市圏とくに札幌,仙台,広島,福岡等の広域中心都市圏やかつての城下町の藩領との関連を忘れてはならない.
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